まだ見ぬ地平を求めて

米国株投資で2億円の資産を貯めて2023年3月に早期退職した元会社員。妻と息子(小学生)の3人家族。

スポーツの話題で気まずい思いをしたことはありませんか? 〜 認知欲求(Need for Cognition, NFC) 〜

2023年3月に50歳で会社を退職したらくすけです

今回は、あるYouTube動画を見て自分の特性がわかったと思ったのでそのことについて書いてみます。


スポーツに興味がなかった子供時代

僕は子供の頃からスポーツに興味がありませんでした。

基本的に体を動かすことが好きではなかったですし、スポーツ中継を見ることも好きではありませんでした。

はっきり言って嫌いでした。

僕が子供の頃の人気のスポーツと言えば野球でしたが、僕はセ・リーグとパ・リーグが何なのかもわかりませんでしたし、正直今でもよくわかっていません。

だから、昔から周りがスポーツの話や好きな選手の話で盛り上がっている時にまったく話についていけませんでした。

さらに言うと、テレビのニュース番組でスポーツのコーナーがあることがおかしいとさえ思っていました。
事件や事故、政治の話題は間接的にせよ私たちの暮らしに関係することですが、スポーツは趣味の話なのだから毎日、固定の枠を設けて報道する内容ではないと考えていました。

 

気になったYouTube動画

そんなある日、以下のYouTubeを見て上記のモヤモヤがかなり解消されました。

その動画によると、多くの人はスポーツを通じて一体感や共感を得ているので、その試合の内容や結果は「他人事」ではないという話でした。

自分にはまったく想像できない感覚ですが、そう言われてみると、テレビなどで見る野球やサッカーの観客席の状況を思い浮かべると試合状況により一喜一憂する人々の顔が思い出されます。

海外は違うのかもしれませんが、日本国内では試合結果の賭け事は禁止されているので、本当に自分の損得とは関係のない試合という出来事に心から喜んだりショックを受けたりしている人たちが大勢いるのです。

大勢どころか大多数らしく、自分みたいに何とも思わない人間は少数派のようなのです。

この説明は50年以上生きてきた自分の経験に照らし合わせてみるとよく合致します。

本当に嫌になるほど一致します。

テレビの趣味に関してなら、子どもの頃から自分だけ家族とは合わず、どこかの誰かから古いテレビを貰ってからは自分だけ別の部屋でNHKスペシャルや教育テレビを見ることがよくありました。

 

 

www.youtube.com

【心理学】スポーツに興味がない人の脳にだけ存在する"特別な思考回路"の秘密

動画 20:28以降からの抜粋

あなたがスポーツの熱狂に同調できない理由は大きく3つありました。

1つ目は脳の報酬回路が違うから。あなたは外の分かりやすい刺激ではなく自分の内側で理解することに快感を感じる、地熱発電所のような脳を持っています。

2つ目は同調圧力に負けない独立した脳を持っているから。周囲との温度差によって脳が「物理的な痛み」を感じていながらもそれでもなお自分の知的な整合性を守り抜く強さがあります。

3つ目は物事をハイレベルプロセッシング(高次処理)」しているから。表面的な勝敗ではなくその裏にある構造や人間ドラマという深い回層にのみ反応する特性を持っています。

みんなと一緒に盛り上がれない自分をもう2度と攻めないでください。
興味がないということは心が冷たいということではありません。
別のところにもっと深くエネルギーを注いでいるという明確な証拠なのです。
次にまた日本中が何かのスポーツで熱狂の渦に包まれた時、職場で歓声が上がり、テレビから実況アナウンサーの叫び声が聞こえてきた時、あなたはみんなは今外部のエネルギーで楽しくソーラー発電をしているんだな。でも自分は自分の内側にある発電所でゆっくりと思考を深めようと静かに本を開き、あなた自身の知識の海へと没頭してください。
他人の祭りに参加しない自由。周囲の熱狂に流されず自分の静かな時間を守り抜く知性。それを持っていること自体があなたの人生における何よりの価値であり、強力な武器なのですから。

この動画では、スポーツの話題に興味を持てず周りに馴染めず辛いと感じている人に寄り添い、自分の興味・関心に執着することを「人生の価値」や「強力な武器」だと説明しています。

動画の内容に興味を持った僕は、この説明の根拠が気になりました。

占いやスピリチュアルのでなければ、必ず統計情報や研究結果があるはずです。

幸いなことに動画の参考情報にいくつかの英語論文へのリンクがあったので、てっきりそれがこの説明の裏付けかと思ったのですが、上記まとめにある3つの項目の詳細説明はなく、「NFC(Need for Cognithion)」という手がかりだけでした。

 

認知欲求(Need for Cognition, NFC)

認知欲求(NFC)は心理学の用語で「努力を要する認知活動に従事したり、それを楽しむ内発的な傾向」と定義されています。
認知欲求尺度に関す る基礎的研究 より

よく参照されている論文は心理学者ジョン・カシオポ(John Cacioppo)リチャード・ペティ(Richard Petty)による下記の論文(英語)です。

The Need for Cognition (1982)

 

日本語の情報が少なく主に英語の資料を調べたのですが、Wikipediaの説明が分かりやすかったのでこちらから引用します。

Need for cognition - Wikipedia

認知欲求は、「関連する状況を意味のある統合的な方法で構造化する必要性」や「経験世界を理解し、合理的にする必要性」などと様々に定義されてきた。[ 3 ]認知欲求が高いほど、議論、アイデアの評価、問題解決に対する評価が高まる。認知欲求が高い人は、 高度な精緻化に傾く傾向があるかもしれない。認知欲求が低い人は、その逆の傾向を示し、多くの場合、低精緻化を通して、よりヒューリスティックに情報を処理するかもしれない。

※Wikipedia(英語版)の機械翻訳から抜粋

 

機械翻訳のせいもあるでしょうし論文的な表現のせいで、とても意味が分かりづらいですが自分なりに意訳すると、認知欲求は物事をロジカルに考える必要性の感度のことで、認知欲求が高い人ほどアイデアや課題を解決しようとしたり整理しようとするし、認知欲求が低い人は物事をあいまいに捉えて直感的に経験則に照らして受け止めようとする、ということかと思います。

 

いろいろ調べてみたのですが、結局、認知欲求が高い人と協調性との関係はわかりませんでした。

つまり、動画の説明にあった

スポーツに熱狂できない人 = 独自の世界観を持ち深い思索行う人(認知欲求が高い人)

という説明の裏付けはとれませんでした。

この部分は動画作成者の方の推測ではないかと思うのですが、この動画に限らず似たような説明をしている動画は他にもいくつかあり、また、自分の経験からも100%ではないでしょうがそういう傾向がある気がします。

たとえば、あまり他人と関わろうとはせずに趣味に没頭する人は見聞きしたことあるのではないでしょうか。

もちろん、人と関わることが好きで、同時に物事を整理したり考えたりすることも好きだという人もいるでしょう。

 

高い認知欲求のデメリット

次に自分の経験も踏まえて認知欲求について考えてみます。

 

・能力は高くないのにやめられない

物事を考えるのが好きな人と聞くと、頭の良い人だと思いがちです。

でも残酷な話ですが、好きなことと能力とは関係ないのです。

いろんなことに興味を持ってもそれを理解できるかは別の話です。

見方を変えると次から次への興味の対象が変わるので落ち着きのない人でもあります。

理想は、高い認知欲求・高い理解力・高い記憶力を持ち合わせていることなのでしょうが、それは認知欲求に限らず誰にでも言えることでしょう。

だから、高い認知欲求を持ちながら他の能力が人並か平均より低い人は、アレコレどうでもいいことにすぐ興味を持つのに、飽きっぽく、落ち着きのない人というふうに見えると思います。

たとえるなら、絵が好きなのに絵が下手な人、歌うことが好きなのに音痴な人、スポーツが好きなのに運動音痴な人になるでしょう。

損得で行動しているわけではなく、自然な欲求で行動しているので、周りから向いてないからやめたほうがいいと言われたり、自分でも下手だと思っても行動を変えられないのです。

 

・言われたことをやらない

認知能力が高いということは、いろいろな物事を認識するのでその影響を受けやすくなります。

だから仕事で指示された作業をしている最中に何か影響を受け、その新しい何かの方が気になると指示された作業より優先させてしまう場合があります。

これは第三者からは「言われたことをやらずに遊んでいる」というふうに見えることがあります。

 

・人の話を聞かない

何か説明を聞いている時に話の内容で気になることがあると、そこに気を取られて相手の言っていることがわからなくなってしまうことがあります。

動画なら途中で止めて、気になった箇所やわからない言葉を調べてから、また続きを見るということができるのですが、リアルタイムの説明では「ポーズ」みたいなことはできません。

結局、後から「ちゃんと説明を聞いてなかったのか!」と怒られることになります。

 

 

高い認知欲求のメリット

この特性の良いこともあります。

 

・投資に向いている

「運用成績が良かったのは亡くなっている人」という説があります。

この説がウソかホントかはわかりませんが、一時的な株価の下落で含み損を抱えたまま売却して投資で失敗する人は多そうです。

つまり日々の株価に一喜一憂せずに株を保有し続けるのが、運用成績を良くするコツと言えるのですが、資産が下がり続けて70%とか50%に下がったりしたらヤバいと思うのが普通でしょう。

認知欲求のためかどうかはわかりませんが、自分の場合は「表面的な株価」はあまり気にならず、株価が下がっても「なぜ」、「何が原因で」が気になりました。
また、早期退職する前はフルタイムで働いていて給料で生活費を賄えていたので、最悪、投資資金(すべて個別株投資)がすべてなくなっても生きてはいけると考えていました。

つまり、株価の変動に影響されずに毎日を過ごすことができました。

 

・見栄をはらずにすむ

となりの億万長者という本にも書かれていましたが、資金を貯めたり維持することの主な天敵のひとつが見栄だそうです。

 

 

洋服や車や旅行などに使ったり、男性なら車や時計、女性ならアクセサリーやバッグや整形などでしょうか。

今どきなら推し活も見栄で高額化しているという話を聞きます。

僕は基本的に物欲がなく、必要なものを買い必要ないもの買わないスタンスです。

衣服は寒さを凌ぐためのもの、靴は外を歩くためのもの、移動は電車を使うので高額なものは必要ありません。

 

・依存や執着がない

ギャンブルやお酒、そして異性に貢いで人生を狂わす話は昔からあります。

パチンコや競馬はやったことがありますが、どれも一回やったら満足しました。

基本的にギャンブルをやって楽しいとか面白いと思ったことはありません。

もし絶対に儲かるギャンブルがあるなら、やってみたいですが、それはもうギャンブルではなくイカサマかビジネスでしょう。

銀行とか証券会社の商売は面白そうですが、自分の能力ではやっていけなさそうです。

 

・孤独に強い

早期退職した方の動画でたまに聞くのは、孤独に関する話です。
以下の動画の方も会社の人間関係がなくなり想定していなかった孤独に直面した状況を独白されています。


www.youtube.com

56歳で退職して最初に来たのは、解放感ではありませんでした。 「今日、行く場所がない」という恐怖でした。

 

僕の場合、50歳で退職しましたが、平日の昼間からブラブラ歩き回って「誰かに怒られたりしないんだっけ?」と意味不明な心配をするくらいで特に孤独感は感じませんでした。

もともと会社の人達と飲みに行くのも人の出入りがある歓送迎会と忘年会ぐらいに付き合うくらいだったので、なくなって寂しいというものではありませんでした。

それより仕事の悩みやストレスがなくなった開放感の方がずっとずっと大きかったです。

 

時間があっても「やることがない」という問題は、まったく問題になりませんでした。

退職の数年前、僕は地方の駅で列車を待っている時にふと自分にとっての幸せってなんだろうと考えたことがありました。

その時にアレコレ考えた結果、僕は「今しているように」どうでもいいことをアレコレ考えているのが幸せなんだ、ということでした。

いつでもどこでも特に何も道具は必要なく、ただ自分さえいればそれでいい。

後のことはすべてどうでもいい。

その時、自分の幸せの条件に気づきました。

だから退職して時間ができることは渡りに船だと、新しいことをいろいろできると楽しみで仕方がありませんでした。

 

さらに言うと、住所が首都圏にあるので、博物館や科学館や美術館や郷土資料館などいくらでも行ったみたいところがありました。

lucky-slc.hatenablog.com

 

正直、退職してからの行動計画や具体的な目標は何も決めていませんでしたが、どうにでもなると考えていたので退職しました。

どうせ時間が経てば定年退職になるので、体も気持ちも元気なうちに早めに退職する方が人生の満足度は高いという判断です。

 

 

まとめ

僕は子供の頃から家族の中でも学校でも浮いた感覚がありました。、

いつもどこか居心地の悪さがあって、家にいても自分の居場所ではないという感じがしていました。

今回、「認知欲求」という概念を知ることにより、この概念がこれまで感じていた居心地の悪さの手がかりになりそうな予感がしています。

幸い考える時間はたくさんあるので、これからも引き続き調べていこうと思います。

 

 

 

失敗があっても気にせず、一度きりの人生なんだからもっと自由に生きてみよう!

2023年3月に50歳で会社を退職したらくすけです

YouTubeのアベプラで「早期退職」の話があったので観てみました。

 

アベプラ:早期退職

【早期退職】50代で辞めても大丈夫?面接8連敗&5年ほぼ無職も…「孤独は想像以上」仕事・人間関係はどうなる?経験者3人に聞く|アベプラ


www.youtube.com

 

ここで紹介されていた「エーショー西郷さん」(55)がスタジオや動画のコメント欄で辛辣に言われていたのですが、僕は違う感想だったのでそれを書いてみようと思います。

 

エーショー西郷さんの経緯
(動画6:43〜7:45あたりの資料を編集・まとめ)


退職時

2024年(当時53歳) 30年以上務めた公務員を退職

早期退職の優遇 「65歳定年まで務めた場合と同程度」の退職金 → 割り増し分含めて約2000万円に

早期退職した理由

・仕事上での悩み・葛藤

・「本当にやりたいことを模索したい」という思い

 

退職後

貯蓄 退職金と合わせて約3000万円(住宅ローン残高約1300万円)

    →退職翌日「職がないという恐怖感」に襲われる

金策

・隙間バイトに登録

・動画編集スクールに55万円支払う

 →動画で稼げたのは約2000円

 再就職

・任期付き地方公務員の面接で8連敗

 →どうにか採用されるも数か月で退職

・住宅ローンもあったがしばらくは生活可能と判断

 

現在 清掃アルバイト

 

今後 早期退職した職場で来月から再雇用

 

動画内の西郷さんの説明でも、「正直言って辞めてなんとなるだろうぐらいの気持ちでいたんですよ。で、ただやっぱり現実、収入がまったくないとなるとやっぱり不安になっちゃうんですね」「スキルがないのに辞めるということが無謀だったということがよくわかりました」と退職前から分かっていた話をされたので、繰り返しになりますが、スタジオ・動画コメント欄で辛辣な指摘がたくさんありました。

 

僕が早期退職した話

僕は50歳で早期退職して1年くらい無職だったのですが、その時に感じたのは、「小学校に入学してから退職するまでの40年間以上もの長い間、余計なことを考えなくてもいい自由な時間はなかった」ということでした。

学生時代は会社に入社した後には考えられない長期休暇がありましたがお金と自由がなかったので、たとえば海外旅行に行くといったことはできませんでした。

さらにイジメや学校の成績や受験など不安や悩みが絶えませんでした。

会社に就職した後はある程度自由になるお金はありましたが、今度は休みがありません。

運良く祝日で連休になって嬉しいという状況で、GWや夏季休暇も長くても10日間程度でした。

そしてやっぱり休みと言っても仕事のことは頭から離れません。

それを当たり前のことだ、みんなもそうやって生活しているのだと疑問にすら感じないようにして生きてきました。

 

仕事を辞めたことで40年間以上、考えることすら避けていた負担や悩みから解放されました。

仕事を辞めて特に大きく感じたことは「〇〇しなければならない」というこれまで受験や仕事で抱えていた義務感から解放されたことでした。

長い間、朝起きて学校や仕事へ行き、やりたくないけどやらなければならないことをして、夜遅くに帰ってきて寝て、また起きるという毎日を繰り返してきました。

これからもそんな毎日が永遠に続くとばかり思っていました。

もしその繰り返しが続くレールから外れたら生きていけないと信じていました。

そしてある日、幸運にも機会に恵まれてその「永遠のレール」から脱出することができました。

 

西郷さんの早期退職について思ったこと

西郷さんの件に話を戻すと、西郷さんはご自分でもおっしゃっていたとおり、結果的には思っていたような早期退職にならなかったのだと思います。

でも、自分の意志で自分の人生をコントロールするという経験ができたことは無駄ではなかったのではないでしょうか。
動画では、お顔は拝見できませんでしたが、話している印象からとても誠実で真面目そうな感じを受けました。

僕の推測になりますが、おそらくこれまでは周囲の期待に応えるために一生懸命に務められてこられたのだと思います。

そして50歳も過ぎたころに、このまま同じ毎日を送り歳を重ねて一生を終えてしまっていいのだろうか、という疑問が湧いてきたのではないでしょうか。

それが「本当にやりたいことを模索したい」という一文だったのでしょう。

人によってはそんなことは仕事を続けながらでもできるはず、と思うかもしれません。

理屈ではそうかも知れませんし、公務員ですし家で過ごす時間もあったでしょう。

でも長年仕事を続けていると、物理的な時間があったとしても考えるだけの心の余裕を持てなくなってしまうのだと、僕自身の経験を踏まえると思えてしまいます。

もちろん個人差はあるでしょう。

同じ番組内でも早期退職して起業されている方もいました。

おそらくですが、西郷さんの場合は新しいことを模索したり始めたりするには、一度、公務員という既存のレールから外れる必要があったに違いありません。

それはとても勇気のいることだったので、あまり雑多な事を考える余裕がなかったのでしょう。

そうやって自分で決めた道を歩みはじめることができたのだと思います。

 

高村光太郎の「道程」という有名な詩があります。

高校の教科書に掲載されていたので、僕はそのときに初めて知りました。

特に冒頭の2〜4行目は有名だと思います。

高村光太郎 道程

どこかに通じてる大道を僕は歩いてゐるのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出來る
道は僕のふみしだいて來た足あとだ

退職後になにかのキッカケでこの詩のことが気になり、上記の青空文庫を見てみて自分の記憶の10倍くらいの超大作だったのでちょっと面食らいました。

内容も宗教めいた雰囲気もあります。

たぶん高校の教科書は冒頭部分の抜粋だったのでしょう。

それを当時の僕は全文だと思い込んでいたようです。

 

僕は現代の多くの人は知らない誰かが敷いた社会のレールの上を歩くことに疑問を感じなくなっている気がします。

たぶんそのレールの上は安全であり、そこから外れるということは失敗の可能性が跳ね上がるうえに何か酷い目に合ったとしても自己責任というレッテルを貼られて誰の助けも得られないかもしれません。

でももし自分の心が「もうレールの上は歩けない」と叫ぶのであれば、できるだけ準備をしたうえでレールから外れてみるのもアリかもしれません。

もしかしたら若い頃の方がレールをから外れた時のダメージが少ないのかもしれませんし、そもそもそんなレールは幻想に過ぎないと知るキッカケになるかもしれません。

 

西郷さんはなぜこの番組への出演を了承したのでしょう。

今の状況を伝えれば多くの人から批判的なコメントが返ってくることはわかっていたはずです。

出演理由がわかるような話はなかったので推測になりますが、自分が考えて決めたことが思っていたような結果にならなかった時に、それを番組で紹介してもらえば番組を見た誰かが同じ失敗をするのを防ぐことができると考えたからではないでしょうか。

1人でも2人でも無謀な早期退職を踏みとどまる、あるいは、より入念に準備をして早期退職に備えることにつながるかもしれません。

自分が批判されることよりも見ず知らずの誰かが失敗しないことを優先させたからではないでしょうか。

 

 

 

「骨太の方針2026」の話

らくすけです。

日本政府の2040年までの経済方針が閣議決定されたので、ざっと読んでみました。

また、アベマの動画を観て、気になった方のコメントを抜き出してみました。

 

骨太の方針2026

www5.cao.go.jp

3つのPDFが置いてあり、1つ目が本文、2つ目が概要、3つ目がPR資料となっています。

1つ目の本文は40ページ以上あり専門用語が満載で読んでたら眠くりました、2つ目パワポ1枚ですが小さい字がギッシリで読む気になりません、3つ目は17ページのパワポ

 

 

【骨太の方針】高市総理の肝入り「責任ある積極財政元年」370兆円ドカンと投資?17分野は多すぎ説?|アベプラ


www.youtube.com

 

夏野さん(16:31)

ファンダメンタルとして、基本的に日本の人口が減ってくということの中で、たとえば3%の成長をする、っていうことは、これはもう本当ににですね生産性を上げるということににしかならないんですけど、あんまりこの生産性の話になってない感じが、僕はすごく思います。で、なんでかって言うと、やっぱり生産性の話っていうのはやっぱりいまあるものが効率良くなる、言ってみれば完全に規制緩和の話なんですど、規制緩和がまったく進んでないのが日本で、規制緩和の話が一切出てきてないのが僕はすごく怖い。確かにこれから伸びる可能性のある分野に一生懸命投資を促進するんだ、これはすごいわかるんですけど、一方で生産性を上げるというのは今ある産業をいかにもっと活かすかということが大事でそのために僕は規制緩和しかないんじゃないかな。

 

柿埜真吾(かきのしんご)さん(25:47)

社会主義ではないというふうにみなさんおっしゃるんですけど、産業政策というのはそれに近い発想だというのはちょっと否定できない。

産業政策というのは、つまり国が発展できる産業を選び出せるとう発想なんですけど、それが上手くいく、たとえばスマホゲームが上手くいくとする、分かっていたら民間がお金を出すはずです。

で、それが国が何かしないとできないというのはそこに何か市場の失敗(心配?)というのがあるっていうのでなければ少なくともそれは正当化できないはず。

 

ひろゆきさん(28:15)

まあ、なんかこういうところに投資したらいいよねっていうふわっとした総論でみんな言いたい放題で勝手にやればいいと思うんですよ。

で、じゃあ生産性を上げなきゃいけない問題ってどうやって効率を良くするかっていう問題だと思うんだけど、日本のこういう政策って自民党を支持している業界団体の分野に関しては一切規制を解除しないっていう拘束があるじゃないですか。

たとえばウーバーといのは先進国で利用できないのは日本くらいだよね、・・・というのがあるのでそこに反することはできません。

たとえば、フランスだと薬局で注射が打てるんですよ。注射打つくらいなら薬剤師さんが打ってもいいよね、っていう法律があるんですけど、日本医師会が強いので注射を打つなら必ず病院に行かなければいけませんっていうので非効率にしているんですよね。

で、あと、日本酒って海外で評価が上がって高く売れるものも出てきているんですけど、日本酒の免許を取るのは不可能なんですよね、日本人。

っていうくらい規制が多いんですよ。

でも、この規制を解除しようというのはやらないんですよ。

なぜなら自民党はそこの族議員の権力に逆らえないというのがあるので。

結果として族議員のいない分野にのみやって族議員のいる分野はそのまんまっていう。

まあ、難しいよね、と思います。

 

自分が思ったこと

日本の戦後の高度成長期からバブル崩壊前までは、道路(一般道や高速道路)や鉄道や電気や電話やガスや水道などの生活インフラが不十分だったので、そういう生活インフラに税金と人と時間を投じて整備することは国民のニーズも強かったでしょうし、経済成長や様々な効率化(モノを短時間で低コストで運べるなど)につながったのでしょう。

でも、1980年代くらいから税金と利便性・サービスの質のバランスが見合わなくなったんだと思います。

巨額の税金を投入しているのに不満が絶えない、もしかしたら巨額の税金を投入しているからサービスの質が低かったのかもしれませんが、国営企業は相次いで民営化されました。

電話:1985年に日本電信電話公社(電電公社)からNTTへ

鉄道:1987年に国鉄からJRへ

 

そして、1990年代のバブル崩壊を迎えたころには生活インフラは整い、日本は住みやすい便利で成熟した国になったのでしょう。

それでは、これまで政府がインフラに投じていたお金は、これからはどこに使えばいいのでしょうか?

「骨太の方針2026」では17の成長分野に投資すると書かれています。

では、その投資は成功するのでしょうか?

 

ある投資先が成功するか失敗するかは誰にもわかりません。

そういう意味では素人でもプロでも、政府も同じだと思っています。

なぜなら誰にも未来は分からないからです。

さらに政府の投資には失敗事例がたくさんあります。

最近は世界でAI開発が流行していますが、日本政府は今から40年以上前に第五世代コンピュータ計画という国家プロジェクトを実施しました。

第五世代コンピュータ - Wikipedia

FGCS1981において通産省側は数々の意欲的な目標を掲げており、それらはいずれも人間の頭脳を超えるための人工知能の開発に集約されるものであった。例を挙げると、医学診断や金融判断や高度な機械制御に役立てられるエキスパートシステム機械翻訳や言語解析を支える自然言語処理などである。

要は現在、生成AIと呼ばれているものを40年以上前に540億円以上の税金を投入して実現しようとしたのです。

この当時の540億円は現在の金額で換算すればもっと大きな金額になるはずです。

それだけのお金と時間と人を投入して具体的な成果はよくわかりません。

今の生成AIに貢献していたり、日本政府が関わっている話や、日本企業の優位につながってるような話は聞いたことがありません。

もちろん投資なので当たることもあれば外れることもあります。

でもそんなリスクのある投資なら、もっと他にリスクが低く優先順位が高いものがいくらでもあったはずだと思います。

 

クールジャパン事業も失敗した投資のひとつになるかと思います。

気になるのは失敗したことよりも以下の記事を読むと成功する意図があったのかさえ疑問に感じることです。

そもそも成功させる意図はなく、投資先の企業が儲かればいいと考えていたのではと邪推したくなります。

note.com

news.yahoo.co.jp

 

今年の春頃にナフサ不足が話題になっていた頃、政府は「目詰まり解消」と繰り返していました。

特定の企業がナフサを買い溜めているから末端の企業にナフサが行き渡っていないという説明です。

僕の個人的な感想ではありますが、日本経済も至る所でお金を溜め込んでいる企業があるから、どんなに政府が経済政策として税金を投入しても末端に行き届かないのではと思います。

政府はその目詰まりを起こしている企業を知っていながら自民党の支持団体だったり支持企業だったりしているので目詰まりを解消できないのではないでしょうか。

結局はひろゆきさんと同じ感想になりました。

 

 

 

 

「こじれる人」の作り方

2023年3月に50歳で会社を退職したらくすけです

今回も前回と重なりますが「ミッドライフ・クライシス(中年の危機)」について書いてみたいと思います。

 

こじれる人

身近な人でも他人でも、いつもイライラしている年配または高齢の人を見かけたことがあると思います。

僕の場合は、ブツブツ独り言を言いながら歩いている男性や、すれ違った学生と肩がぶつかり怒鳴っている老人や、病院で奥さんに威張ってばかりいる老人などを見たことがあります。

たまたまなのかもしれませんが、僕が見たのは男性ばかりでした。

 

以下のYouTubeによると、こういう「こじれてしまう人」は若い時からこじれているのではなく「孤独」が悪化して「こじれていく」という構造的な問題があるという説明で、自分としてはとても納得できる内容でした。

動画の内容を一部引用しながら僕が理解したり思ったことを書いてみます。


www.youtube.com

 

「こじれる人」というのは次の段階を踏んで、だんだんとこじれていくそうです。

孤独 → 虚無感 → 怒り

 

それぞれ順番に説明します。

 

孤独

ここでいう孤独は「心の柔らかい部分」を分かってくれる人がいない状態のことです。

「心の柔らかい部分」というのは以下の自分の心のネガティブな要素のことです。

・弱さ

・不安

・寂しさ

・情けなさ

・恐れ

・本音

だから、既婚者でも彼氏/彼女や親友がいても孤独な人はいるでしょう。

逆に、人に弱みを見せられないプライドが高い人は孤独に陥りやすいと思います。

 

虚無感

孤独な状態が何年も続くと、心が空白になっていき生きることや人生が無価値に思えてきます。

それが虚無感です。

なぜこんなに辛いのに生きていかないといけないのか、理由もわからず不安になる、生きる意味がわかない、などなど、とにかくわけもわからずとにかく辛い状態が虚無感です。

仕事や家庭に問題もなく、世間と比べて裕福な生活を送れていたとして、そういう現実とは無関係に、とにかく心が辛い。

「ミッドライフ・クライシス(中年の危機)」と呼ばれる状態はこれのことだと思います。

 

怒り

そして辛い虚無感が続くと「怒り」に変わります。

周りの人々や自分に対してとにかく攻撃的になっていきます。

・怒りになる

・他人への批判になる

・若い世代への嫉妬になる

・過去への執着になる

・加害性が自分に向く

 

僕はこの攻撃性はある種の心の防衛機能だと思っていて、危機に瀕した心が自己防衛のために起こした行動が攻撃性なのでしょう。

こうして「こじれる人」が出来上がります。

 

「こじれる人」にならないためにできること

ネットの検索やいくつかのYouTubeのコメント欄をみると「他人と関わるのが好きじゃない」、「1人で過ごすのが好き」というコメントが結構あります。

僕も集団生活は苦手だったので1人でいたいという気持ちは分かるのですが、僕の場合は50代から雑談や世間話の欲求が強くなってきたと感じるので年齢によって変わるのかもしれません。

70代でも「1人が平気」というコメントもあったので個人差もあるのでしょうが、レアケースのような気がします。

 

では、どうすればいいのかと言うとこの動画では次のようにまとめています。

①気のおけない友人やパートナーを作る

②趣味や仕事を充実させる

③新しいチャレンジを続ける

 

僕自身は孤独や虚無感に襲われたことがないので実体験として語ることはできませんが、この対策で正しい感じはします。

ただ孤独に陥りやすい人がこれを実行するのはなかなか難しいでしょう。

僕は今のところは妻がいるので、それで心のバランスを保てていますが、何かが起きて1人で暮らすことになった場合はかなりヤバい気がします。

孤独になるのが嫌ですし、周りに迷惑をかける様な人になってしまうのは怖いです。

人生なにが起こるかわかりませんから現時点でアレコレ考えても仕方ありませんので、心も身体も健康に生きられるように気をつけていこうと思います。

 

 

 

日常のことを話せる相手はいますか? − 50代になった今、痛感していること −

2023年3月に50歳で会社を退職したらくすけです

今回は最近になって強く思ったことについて書いてみたいと思います。

 

みなさんは日常のことを話せる相手はいますか。

僕の場合は妻がそうで、「鳥のフンが落ちてきた」とか「虹がキレイだった」とかどうでもいい話をしたり、逆に妻の話を聞いたりしています。

どうでもいい話なので、それによって何かをしてほしいわけではなく正直何の意味もなく、話をしてもしなくても何も変わらないと思っていました。

ところが最近になってこういう雑談を無性にしたくなる時があることに気づきました

僕は40代で結婚するまで恋人どころか友達もいなかったし就職してからは一人暮らしをしていたので、20年間くらいは雑談する相手がいない状態で生活していました。

仕事は開発系だったので仕事と関係ない無駄な話をすることもほぼなかったと思います。

でもそれが当たり前だと思っていましたし、1人でいることが苦痛ではなく、むしろ自由で邪魔が入らないので快適とさえ思っていました。

それがアラフォーぐらいの年齢になるとゲームや読書が以前ほど楽しめなくなり不安を感じて婚活・結婚をしました。

そして50代になった今になって当時の不安が的中したことを実感しています。

「近所のスーパーのデザートの種類が増えていた」とかテレビのニュース(最近だとクマとか殺人事件とか)を見て「怖いね〜」とか深い話ではなく、軽い話をすることが時々あります。

独身時代はそもそもテレビを見ませんでしたし、そもそもテレビを置いていませんでした。

若い頃はそれで全然平気だったのです。

自分がこんな風に変わるとは想像できませんでした

 

結婚相談所ナレソメの勝倉さんがこの調査結果についてコメントされていて、とても共感しました。

 

50代未婚の9割が孤独に絶望…😭今は「一人で平気」な人も30年後に確実に詰む🫠あなたに待ち受ける「孤独のリアル」対策方法は?🔥【独身の闇】


www.youtube.com

12:02ぐらいから

じゃあさ、人々が何をしたいかと言うとサーベイを見るに何を言ってるかというと日常の些細なことをシェアしたいわけですよ。話をしたいんだよ。今日何々あってさとかさ、みんなも言いたくない?仕事でいろいろあったりとかさ、まあ別に遊んでても嬉しいこと楽しいことでもあれば悔しいこととか落ち込んだこととか悲しいこととかあったりとか、いろいろなことがあったりするじゃないですか、それをさ、こんなことがさって言える人がほしいんだと思うんですよね、私もよく夫とかにこういうことがあってとか言ってますけど、夫も言ってくることがあって、そういうのをなんか配偶者だけは聞いてくれるのよ、どんなしょうもないことであっても、基本は。話を聞く気のない夫とか妻とかいるっているけど、なんか「あー、あー、あー」ぐらいは言ってくれるじゃん。聞いてなかったとしても、「聞いてる?(怒)」「聞いてるよ」とかってやり取りが発生するわけで、「わー」と言って聞いてくれるだけでちょっとなんか癒されたりするわけじゃないですか、そういうのが結局人間ってほしいんだと思いますよ、サーベイを見るに。

 

【ハハロル 50代以上未婚者の恋愛・パートナー観調査】50〜70代未婚男女の9割が“孤独”を抱える現実 半数以上がパートナーを求めるも、94%以上が「1年以上恋活なし」

prtimes.jp

 

50代以上の独身男女2000人を対象にした調査で9割が孤独を抱えていて、パートナーがいない500人は女性で5割以上、男性で7割以上が「今日あった些細な出来事」を話す相手がいないという結果でした。

そして男女とも6割以上が新しいパートナーを希望していて、期待している関係で1番多かったのは「飾らず一緒にいられて気楽、寛げる」という回答でした。

 

僕も30歳くらいまでは彼女もいないし結婚もできないし一生1人で生きていくしかないと覚悟していましたし、不細工に生まれて以上は仕方がないとその運命を受け入れていました。

それがまさか年齢を重ねることで自分の気持ちがこんなに変わるとは思ってもいませんでした。

アラフォーの時に結婚せずに独身を貫いていれば、また違った心境になっていた可能性もあります。

20代と変わらず1人楽しく過ごしていたかもしれませんし、逆にもっと孤独に苛まれていたかもしれません。

それは確認のしようがありませんから、今は婚活して妻と出会えてよかったと思っています。

「僕にとっての幸福」というのは「日常の些細なことを話せる相手がいること」だったのかもと50代になった今は思っています。

 

 

54歳既婚男性、未だに恋愛が分からない

2023年3月に50歳で会社を退職したらくすけです。

今回は今読んでいる恋愛漫画で思ったことを話したいと思います。

 

50代になって恋愛について考えたキッカケ

今読んいる漫画というのは、6月にKindleセールで購入した冬目景さんの「イエスタデイをうたって」全11巻です。

 

 

すでに今はセールは終わっていますが、セール時は1冊77円と超お得価格でした。

僕は昔から吸血鬼関連の話が好きだったので冬目景さんの作品で最初に興味を持ったのは「羊のうた」だったのすが読もう読もうとと思っていながらなかなか手が出ないまま時間だけが経っていました。

「イエスタデイをうたって」を半分くらいまで読んで思うのは、恋愛ってなんだろうなっていう、今更ながらの疑問です。

 

小学生時代

僕の記憶に残っている限りにおいて結婚や恋愛について考えた最初の記憶は、アニメのドラえもんでした。

何かのエピソードでのび太がしずかちゃんと将来結婚するとかしないとかの話になった時に、僕は他のキャラクターはどうなるんだろうと考えてしまいました。

なぜなら登場人物が明らかに男性が多いからです。

女性キャラはヒロイン?のしずかちゃんと、ジャイアンの妹のジャイ子ぐらいしか思い当たりませんでした。

たぶん、たくさんのモブキャラが女子も男子もいるのでしょうが背景扱いなのでよくわかりません。

当時は自分も小学生で、その時に感じた疑問は疑問のまま忘れてしまいました。

 

中学高校生時代

中学生になり異性が気になり始める年代で、「男女七人夏物語」というテレビドラマが放送され話題になりました。

 

男女7人夏物語 DVD-BOX

 

また、同時期に「夕焼けニャンニャン」という番組で「おニャン子クラブ」というアイドルグループの元祖のようなグループが結成され日本のテレビの一時代を作りました。

 

 

僕は何か年配男性が若い女性とが番組を作るという何か不健全さや卑猥さのような気配を感じて近づきがたいものを感じていました。

実生活では男女共学の中学高校に通っていたにも関わらず、女子との会話はほぼ皆無だった気がします。

休み時間は文庫本を読んでいることが多かったので、女子からしたら僕は得体の知れない男子と思われていた気がします。

思春期の男子のほとんどがそうであるように僕も女子と何かきっかけがあれば仲良くなりたいと常日頃から考えていましたが女子どころか男子の友達もいなかったので女子との会話の機会さえありませんでした

何年か前に学生当時に考えていた願望に近いイメージを以下のブログで見て、強く印象に残りました。

 

我慢すればきっと良いことがあるに違いないと思い込む…2 | 昭和42年生まれ元司法浪人無職童貞職歴無しの赤裸々ブログ

そして、それから30年後、

46歳、もうすぐ47歳の男がいまだに

 

「高校生の彼女または女友達がほしい」

 

と、思っているのである。

できれば、大部屋で、男女4名くらいで、ジュースやポテチを持ち寄って皆でトランプをしたい。

人生ゲームとかしたい。

 

そんな幼稚な欲求を未だに持っているのである。

 

 

結局、この男女数人でお菓子を食べながらワイワイガヤガヤ遊ぶことは叶うことはありませんでしたが、僕の思春期の理想像と言っても過言ではないでしょう。

しかし50代も半ばにさしかかり自分がどういう人間か分かってきた今になって思うのは、この理想がもしも叶っていたらおそらくその場の空気に馴染めずに疎外感を感じていただろうと思います。

人間嫌いの僕がそんな賑やかな場所にいて同じテンションで楽しめるはずがないのです。

時代が前後しますが一度だけ会社の同僚に連れられて女性が接待してくれるお店に行ったことがありました。でも、結局、何が楽しいのかわからずじまいでした。

そういうのが好きな人は好きなんでしょうが、自分には合わないということがよく理解できた貴重な機会になりました。

 

話を高校時代に戻すと、この頃に読んでいた漫画をよく憶えています。

原秀則さんの「冬物語」という大学受験の浪人生の漫画です。

 

 

漫画の大まかなストーリーは大学浪人生の主人公が一目惚れした女性に消極的なアプローチを続けつつ別タイプ女性からちょっと強引なアプローチを受けるという三角関係を描いたラブコメディです。

大学受験がテーマでもあり、当時高校生で大学受験を控えていた自分と重なる部分も多く、結構、夢中になって読んでいました。

新鮮だったのは恋愛についてで、それまでにテレビや漫画で見たり読んだりしたお話はカップリングが決まっていたり結果が予定調和されているバトル漫画みたいなものが多く、付き合うかどうかが決まっていなかったり、三角関係のような話はちゃんと読んだのはほぼ初めてでした。

それまで、身近な女性は母親などを含む身内や親戚のおばさん方と同級生くらいしかありませんでした。

それ以外は実生活とは無縁の別世界に住むテレビの人達でした。

つまり僕の世界に恋愛対象になりそうな女性や女子はおらず、その候補になりそうな人もいませんでした。

同級生の中にはキレイだなとかかわいいと思う女子が何人かのいましたが、せいぜいがそう思うだけで会話すらなく学校を卒業しました。

そういう環境で生きてきたので冬物語の中で普通に同世代の女性と会話している主人公たちを見て、自分も大学生になったら同世代の女性と仲良くなったり、もしかしたら彼女ができるかもしれないと淡い期待を抱いていました。

また、他に漫画で学んだことは異性を好きになるというのはとても大事なことで、大切なことで、尊いことで、自分の命と同じかそれ以上に価値があるということでした。

好きになった女性にはその事で辛い目に合わせてはならないし、自分に好意を寄せてくれるような貴重な女性も傷つけてはならない。

この漫画の主人公である優柔不断な男性がする考え方や行動を、僕は恋愛なのだと思い込んでいました

今思うと優柔不断な男性は三角関係を構成して漫画を維持するのに必要な条件だったのだろうと思います。

 

大学生時代

その後、僕は運良く受験戦争に勝ち抜くことができ、高校を卒業した時には列車が数時間一本しか止まらない田舎からようやく脱出できると喜んでいました。

ところが、期待に胸を膨らませて進学した大学は、地方の工業大学で、余計なことを考えずに勉学に励むには最適の場所でした。

信じられないことにそれまで住んでいた田舎と大きな差がなかったのです。

少なくともテレビで放送されていたような東京にあるというディスコやサークルなどとは無縁の長閑な地域でした。自転車で30分かかる最寄り駅にはかろうじてデパートが1件あるだけで期待していたような華やかなお店は皆無でした。

さらに工業大学だったのでクラスの男女比率に大きな偏りがあり、数十人のクラスに女性が一人しかいませんでした。

大学に入学した当初に僕は卒業して東京で就職することを夢見ましたが、1週間もしたら環境に適応してそんなことは忘れてしまって、高校時代と同じように暇な時間は本屋や中古本屋、中古ゲームショップを見て歩いていました。

 

社会人時代(30代まで)

大学卒業後は就職氷河期と呼ばれる就職難の時期でしたが、運良く東京の会社に就職することができました。

ところが、やっぱりIT関係だったのと就職氷河期が禍して同期の女性比率は1%程度しかおらず、さらに自分のコミュ障が禍して同期のグループとも疎遠になっていきました。

それから時間はあっという間に過ぎて30歳くらいの時に知り合いの知り合いみないな繋がりで女性と付き合ったことはありましたが、ギクシャクした関係のまま疎遠になり終わりとなりました。

 

アラフォーではじめた婚活

さらに約10年が経過し初老と呼ばれる年齢が目前に迫った時期になってようやく自分から行動を開始しました。

いわゆる婚活というやつです。

気持ち半分やっても無駄だろうと諦めていましたが、活動開始早々、大きな学びがありました。

それは女性ひとり一人、違うことがわかったことでした。

何を当たり前のことを言っているんだと思われるかもしれませんが、小説や漫画などでは物語を展開させるためや読者への分かり易さを優先して、ステレオタイプな女性キャラクターを登場させることがよくあると思います。

明るく活発でスポーツな得意な女性や、思いやりがあり優しく細かいことによく気がつくお姉さんキャラだったりなどです。

実際に会って話をした女性は当たり前のことなのですが、年齢や見た目めや身長や体重はもちろん、好みや性格や話し方もそれぞれ全く違っていました。

百聞は一見にしかず、と言いますが、1人の人間のすべてを文章で書き表すことなどはできないのです。

そういうふうに女性に対する認識を新たにしつつ、同時に恋愛についても考えを改めました。

 

婚活を始めるまでは自分みたいな見た目が悪くてコミュ障で性格も悪いおっさんと付き合おうと思ってくれる女性はとても貴重なのでこちらは条件は問わず誰でもいいから付き合ってみようと思っていました。

新しく考えたのは、あと何年何十年間続くかわからない自分の人生を一緒に歩めそうかどうかを基準にして付き合うことに決めたことでした。

年齢とか外見とか性格などひとつひとつの細かいことはどうでもいいのです。

人によっては若ければいいとか、何よりも容姿が大事だと、なるのでしょう。

でも僕にとっては人生のパートナーになってくれるかが最重要であり、それが唯一の条件でした。

好きか嫌いかもどうでもいいと言えばどうでもいいことでした。

嫌いな人と長く一緒に居られるとは考えにくいですが、総合的に自分でそう決めたのであれば可能性はゼロではありません。

ちょうど増田にタイミングよく関連する話題が注目されていたので引用します。

 

好きではないのに結婚しようとしている

5年付き合ったので、迫られる形で責任を取って結婚しようとしている

彼女の貴重な20代時間を潰した自覚もあるし、もうドキドキはしないしずっとレスだが、自分にはもったいない程良い人だと思う 思い出も愛情もある

 

そんなに好きではない相手と結婚していいかというお悩み相談ですが、僕としての答えはイエスです。

ただ条件として自分で納得して自分で決めることです。

 

僕は50年以上生きてきて未だに初恋とか恋に落ちるとかといったロマンチックな経験がありません。

中学高校は共学だったので可愛いと思う女子もいましたが、何しろ接点がなかったのでまったく進展はありませんでしたし、その後もほぼそれらしいイベントは起きませんでした。

会社の同僚の結婚式で何か起きないかと期待をしたこともありましたが何もなく時間だけがただ過ぎ去っていきました。

そういう待ちの姿勢がよくないと気づいたのは初老(40歳)が間近に迫ってほぼ手遅れになってからでした。

だからそんな僕だからこその感覚なのかもしれませんが、外見やその場の雰囲気で特定の異性に強く惹かれるという"恋"というのは若い時期にかかる流行り病の一種なのだろうと思っています。

 

でも、もし叶うなら一度でいいから自分のすべてを捧げてもいいというような"恋に落ちる"、"Fall in love"、"燃えるような恋"という感覚を味わってみたいという願望もあるのですが、現実的に可能性がありそうなのは恋愛詐欺(ロマンス詐欺)くらいと思っています。

手頃な"推し"が見つかれば趣味や生き甲斐にもなって一石二鳥でしょうけど、それは恋に落ちるとは違う気がしますし、そんな"推し"すら今までなかったのにあと数年で60歳を迎える年齢になって夢中になれるものが見つかるとは考えにくいです。

 

「恋愛と結婚は違うのか」という議論について

YouTubeを見ていると、主に結婚相談所の動画で恋愛の延長で結婚すると失敗するから結婚は相談所でアドバイザーとよく相談して進めるのがいいみたいな話をよく見かけます。

重要なポイントは恋愛の内容が人それぞれで違うということだと思います。

多くの人にとって恋愛とは呼べないような関係でも当人にとってはまじめな恋愛の場合もあるでしょうし、生涯をかけた恋愛の場合もあるでしょう。

前者の極端な例としては、「中年男性がまだ十代に見える女性アイドルに求婚して女性アイドルが泣きそうな顔で「そういうの勘弁してください!」と訴えている」という動画を見たことがありました。

客観的にはその状況は中年男性による女性への虐待にも見えるのですがその中年男性にとってはまじめな恋愛なのかもしれません。

当人の心の中のことなので当人以外はわかりようがありません。

他にはホストに入れ込む女性や、水商売の女性に夢中になる男性の例も同じでしょう。

そういう人の中には真剣に結婚を考えている人もいるでしょうから、結婚相談所や親の立場からすると、そういう人たちに対して「恋愛と結婚は違う」と言いたくなる気持ちはわかります。

一方で学生時代から付き合ってそのまま結婚して幸せに暮らしている夫婦もたくさんいるでしょう。

学生恋愛が続いて結婚して幸せに暮らしている人たちからしたら、恋愛と結婚は同じになるはずです。

だから恋愛と結婚ついての議論は、本人の恋愛についての考え方次第となります。

 

まとめ

僕は学生時代は彼女ができたことがなく社会人になってもほとんど女性と交際したことがありませんでしたが、初老を迎えてから運よく結婚できました。

妻とは結婚して10年以上が経っており、今でも大好きで一緒に出かけるときは楽しいですし、これからも人生が続く限り一緒にいたいと願っています。

でも、映画やテレビや漫画でよく見る”恋に落ちる”とか”キュン”とか””その人のこと以外は考えられない”という恋愛は経験したことがありません。

両思いどころか一途に一人の女性を想い続けるといった片想いすらありません。

そういう恋愛を知らない僕という人間は、何かが欠けているのかもしれないと時々思います。

 

 

 

投資の地動説と金の歯車

2023年3月に50歳で会社を退職したらくすけです。

今回は投資に対する自分の考えを書いてみようと思います。

 

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注意事項

この文書を含む本ブログサイトでは投資について推奨も否定もしていません。

一般に投資は自分の余裕資金をリスクのある経済行為に投じて利益をえることを目的に行うものなので、投じた資金の一部、または全額、あるいは信用取引などではそれ以上の金額を失う可能性があります。
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投資の天動説

YouTubeを見ていると退職金を投資して損をしたという話をたまに聞きます。

 


www.youtube.com

 

上記動画の4:42あたりに「お金の失敗談」の話しがあり、退職金の一部を株に投資して大きな損失を出してしまったとのことです。

投資なので損をすることもあるでしょうが、金額が大きく短期でやめているのでギャンブルの様なことをしているように見えてしまい、不思議に感じてしまいます。

不思議に感じるのは、まるで自分を中心に世界が回っているかのように自分の都合で投資しているからです。

投資の天動説

 

自分の年齢が理由で会社を定年退職して、定年退職に合わせて退職金が振り込まれて、退職金というまとまった資金を手に入れたタイミングで、これから株価が上がる将来有望が投資対象が登場して、そこに投資して利益を得る。

どんな奇跡的な偶然が重なればそんなことが起きるのでしょう。

投資で成功するには、適切な投資先に、適切なタイミングで資金を投じる必要がありますが、何が適切だったかはすべてが終わってからでないとわかりません。

投資で退職金を失った人から話を聞いたことがないので想像になってしまいますが、おそらくまとまった現金が銀行口座に振り込まれたのを目の当たりにしてこのまま置いておくのは「もったいない」と思ったのではないでしょうか。

1980年に郵便局の定期預金の金利は7%以上だったので、その頃のことを知っているなら今の限りなく0%に近い金利に我慢ができなくなったとしても理解できます。

そして大事な退職金を無駄にしないために、”絶対に損しない”、”安全安心”、”高利益”などの条件で投資先を探したのでしょうが、真偽含めて様々な情報を得られる現代社会で詐欺まがいの投資に引っかかったり、ローリスクのインデックス・ファンドへの投資だったとしても急な株価下落で思わず全額売ってしまったりなどして大きな損失を出してしまったのではないかと思います。

実際にどうだったかはわかりませんが、気持ちはよくわかります。

多くの人にとって退職金は人生の大半をかけてようやく手にすることができる大金です。

普通は一生に一度のことでしょう。

それを無駄にしたくない、できるだけ有効に活用したい、という感覚は誰でも持つものではないでしょうか。

ただ自分の都合で投資を行っても上手くはいかないのが普通でしょう。

社会の仕組みを使ってお金を増やすという投資という行為を、自分の都合で自分中心に考えて行ってしまう考え方を、僕は「投資の天動説」と呼んでいます

 

投資の地動説

一方で社会中心に考えて投資する「投資の地動説」もあります。

時に自分を卑下する意味合いで自分のことを「会社の歯車」と言うことがあります。

自分が会社の役に立っているのと同時に、ひとつの歯車にすぎない自分がいなくなっても他の歯車、社員に置き換えればこれまで通り会社は動き続けるので、必ずしも自分が会社に必要とされているわけではないという意味も含まれています。

この歯車の喩えは社員を歯車に喩えるだけでなく、会社を「社会の歯車」に置き換えることもできます。

今の社会で必要とされている仕事は1人でできることはほぼなく、多くの企業や組織が担っています。

つまり社会はそれらの企業などによって支えられているとも言えるので、各企業や団体を仮想的な大きな歯車に置き換えて考えることもできます。

たとえば、何らかの理由で企業が倒産したとするならそれまで担っていた役割は他の企業に代替えされるでしょう。

それは人の場合と同様に歯車が置き換わるイメージと同じになります。

私たちが生活している社会を縁の下で支えている様々な会社を歯車に喩えて、その歯車が回り続けることで社会が成り立っているというイメージです。

そして会社である歯車が回ることでお金が動くのでそのお金が動く仕組みを上手く使って投資することで利益を得ようとするのが「投資の地動説」です

投資の地動説

そういう歯車のイメージで社会全体を考えてみた時、極稀に特別な歯車が見えることがあります。

僕はそれを「金の歯車」と呼んでいます

何が特別かと言うと、今までに見たことのない製品やサービスを提供することで社会そのものを変えてしまうかのように見えるからです。

そういった画期的な製品やサービスもいずれ競合の製品やサービスが登場して当初の特別感が失われて金の歯車も普通の歯車に変わってしまうのですが、ただ、その頃には会社の規模が大きく成長して全く違ったものになっているでしょう。

 

過去に僕が見た金の歯車の例は、iPhoneを発売した当時のアップルでした。

当時のアップルは携帯音楽プレーヤー業界で人気の製品を販売していましたが、過去に携帯電話を発売したことはありませんでした。

そんな新参者の会社が発売する今まで見たことのない板の様な携帯電話に不信感を感じる人も多かったと思います。

当時のアップルのCEOはiPhoneのことを「電話の再発明」と言っていたそうですが、僕は「もっとも身近なコンピューター」だと思っていました。

当時、インターネットを使うには机の上に置かれたパソコンが必要で、たぶん、多くの人にとってとても敷居が高かったのだと思います。

高い敷居は、数十万円という金額やモデムやルーターといった機器との接続があったでしょうが、たくさんのボタンが並ぶキーボードに対する心理的ハードルも意外と高かったのかもしれません。

一方でiPhoneのソフトキーボードは馴染みがなくこれも心理的抵抗があったのでしょうが、こちらはあっさりと克服されて日本を含む世界中でiPhoneが普及していきました。

そして気がつけばアップルの時価総額は世界一になっていました。

ここまで大きくなった企業が過去と同じペースで成長するとは考えにくいので、もう金の歯車とは言えなくなります。

 

会社という大小様々な歯車が私たちの社会を支えるという「投資の地動説」における社会のイメージは、同じ社会を見ているはずなのに投資における意識や意味が「投資の天動説」とはまったく違うものになります。

日々の生活の中での気づきで見つけた特別な金の歯車の会社に余剰資金で投資した場合、将来、投資した会社が成長して株価が上がれば株を売ることで利益を得ることができます。

また、仮に期待した利益が得られなくても自分で見つけた会社の株を買うことはひとつの推し活と考えることもできるので人生にとって有意義なことだと思います。

人気の投資方法のひとつにオルカンなどのインデックス投資があります。

僕はこのインデックス投資をたくさんの会社の経済活動とインフレを利用した投資方法だと思っています。

投資の地動説のイメージなら歯車群が10年20年といった長い期間で見た時に徐々に大きくなっていくイメージです。

ただ業績が好調な会社があれば倒産する会社もありますし、好調な会社にも時期によって高不調があります。

だからインデックス投資は数年のような短期間でやめたり、〇〇ショックのような不況でやめてしまうのはインデックス投資と特長を理解していないように見えてしまいます。

ましてやインデック投資を証券会社の説明を真に受けて「年率〇%」の福利で増える定期預金のように考えてしまうのはとても怖いと感じます。

 

僕にとっての投資

僕が投資に興味を持ったのは高校生の頃でした。

きっかけは忘れましたがこの時期に新聞の朝刊を全部読むことを始めましたが、びっしりと企業名と株価が並んでいる株価欄だけは面倒で対象外にしていました。

この時に株を買って株が値上がりしたら売って利ざやを得ることができると分かってはいましたがどの株が値上がりするかはわからずじまいでした。

時間が経ち30代半ば頃には貯金が1,000万円を超えていました。

洗濯機置き場が玄関ドアの外にある1Kの木造アパートに住んでいて趣味がゲーム(FF11や買切り型のもの)と読書くらいしかなかったので、

生活費 < 手取り

状態で使わなかったお金が溜まっていった結果でした。

彼女はいなかったし当然結婚の予定もなかったので、僕はいずれこのアパートで孤独死すると思い込んでいました

ちょうどそんな時にお手頃な投資先を見つけることができました。

その1つがアップルです。

僕が子供の頃は政府が後押しするNISAのような制度はなく、投資は危険なものと言われていて僕もそう信じていました。

だから株を買う時はそのお金はもう帰ってこないという気持ちでいました。

同時に「生活費 < 手取り」状態の僕にとって、極端な話として、貯金が0円でも1億円でも実際の生活は何も変わらない、とも思っていました。

貯金の金額に関わらず、僕にはこのアパートで孤独死する未来しかないと考えていたからです。

結局、当時の貯金の大部分を個別株の購入に使ってしまいました。

投資信託は証券会社に支払う手数料がもったいない気がしたのと、インデックス投資に対する知識がなかったことから手を出しませんでした。

だから僕にとっての投資とはお金儲けではなく興味本位で始めた趣味みたいなものになります。

 

結局のところ

初めて証券口座を開設して20年近く経った今になって振り返ってみると、当時考えていた未来予想とはだいぶ違った老後になりそうです。

貯金は0円になるどころか家を買えるくらいありますし、結婚して子供もいます。

僕は退職前は社内で日程感がないとか計画と合っていないとかよく怒られていたので、あらかじめ計画を立てて計画通りに物事を進める能力に欠けているんだと思います。

子供の頃から夏休みの宿題は夏休みが終わる直前に着手して終わったり終わらなかったりしていた気がします。

まだまだ人生は続きそうなのでこれから何が起こるかわかりませんが、結果オーライで人生が終わるといいなと思っています。