まだ見ぬ地平を求めて

米国株投資で2億円の資産を貯めて2023年3月に早期退職した元会社員。妻と息子(小学生)の3人家族。

54歳既婚男性、未だに恋愛が分からない

2023年3月に50歳で会社を退職したらくすけです。

今回は今読んでいる恋愛漫画で思ったことを話したいと思います。

 

50代になって恋愛について考えたキッカケ

今読んいる漫画というのは、6月にKindleセールで購入した冬目景さんの「イエスタデイをうたって」全11巻です。

 

 

すでに今はセールは終わっていますが、セール時は1冊77円と超お得価格でした。

僕は昔から吸血鬼関連の話が好きだったので冬目景さんの作品で最初に興味を持ったのは「羊のうた」だったのすが読もう読もうとと思っていながらなかなか手が出ないまま時間だけが経っていました。

「イエスタデイをうたって」を半分くらいまで読んで思うのは、恋愛ってなんだろうなっていう、今更ながらの疑問です。

 

小学生時代

僕の記憶に残っている限りにおいて結婚や恋愛について考えた最初の記憶は、アニメのドラえもんでした。

何かのエピソードでのび太がしずかちゃんと将来結婚するとかしないとかの話になった時に、僕は他のキャラクターはどうなるんだろうと考えてしまいました。

なぜなら登場人物が明らかに男性が多いからです。

女性キャラはヒロイン?のしずかちゃんと、ジャイアンの妹のジャイ子ぐらいしか思い当たりませんでした。

たぶん、たくさんのモブキャラが女子も男子もいるのでしょうが背景扱いなのでよくわかりません。

当時は自分も小学生で、その時に感じた疑問は疑問のまま忘れてしまいました。

 

中学高校生時代

中学生になり異性が気になり始める年代で、「男女七人夏物語」というテレビドラマが放送され話題になりました。

 

男女7人夏物語 DVD-BOX

 

また、同時期に「夕焼けニャンニャン」という番組で「おニャン子クラブ」というアイドルグループの元祖のようなグループが結成され日本のテレビの一時代を作りました。

 

 

僕は何か年配男性が若い女性とが番組を作るという何か不健全さや卑猥さのような気配を感じて近づきがたいものを感じていました。

実生活では男女共学の中学高校に通っていたにも関わらず、女子との会話はほぼ皆無だった気がします。

休み時間は文庫本を読んでいることが多かったので、女子からしたら僕は得体の知れない男子と思われていた気がします。

思春期の男子のほとんどがそうであるように僕も女子と何かきっかけがあれば仲良くなりたいと常日頃から考えていましたが女子どころか男子の友達もいなかったので女子との会話の機会さえありませんでした

何年か前に学生当時に考えていた願望に近いイメージを以下のブログで見て、強く印象に残りました。

 

我慢すればきっと良いことがあるに違いないと思い込む…2 | 昭和42年生まれ元司法浪人無職童貞職歴無しの赤裸々ブログ

そして、それから30年後、

46歳、もうすぐ47歳の男がいまだに

 

「高校生の彼女または女友達がほしい」

 

と、思っているのである。

できれば、大部屋で、男女4名くらいで、ジュースやポテチを持ち寄って皆でトランプをしたい。

人生ゲームとかしたい。

 

そんな幼稚な欲求を未だに持っているのである。

 

 

結局、この男女数人でお菓子を食べながらワイワイガヤガヤ遊ぶことは叶うことはありませんでしたが、僕の思春期の理想像と言っても過言ではないでしょう。

しかし50代も半ばにさしかかり自分がどういう人間か分かってきた今になって思うのは、この理想がもしも叶っていたらおそらくその場の空気に馴染めずに疎外感を感じていただろうと思います。

人間嫌いの僕がそんな賑やかな場所にいて同じテンションで楽しめるはずがないのです。

時代が前後しますが一度だけ会社の同僚に連れられて女性が接待してくれるお店に行ったことがありました。でも、結局、何が楽しいのかわからずじまいでした。

そういうのが好きな人は好きなんでしょうが、自分には合わないということがよく理解できた貴重な機会になりました。

 

話を高校時代に戻すと、この頃に読んでいた漫画をよく憶えています。

原秀則さんの「冬物語」という大学受験の浪人生の漫画です。

 

 

漫画の大まかなストーリーは大学浪人生の主人公が一目惚れした女性に消極的なアプローチを続けつつ別タイプ女性からちょっと強引なアプローチを受けるという三角関係を描いたラブコメディです。

大学受験がテーマでもあり、当時高校生で大学受験を控えていた自分と重なる部分も多く、結構、夢中になって読んでいました。

新鮮だったのは恋愛についてで、それまでにテレビや漫画で見たり読んだりしたお話はカップリングが決まっていたり結果が予定調和されているバトル漫画みたいなものが多く、付き合うかどうかが決まっていなかったり、三角関係のような話はちゃんと読んだのはほぼ初めてでした。

それまで、身近な女性は母親などを含む身内や親戚のおばさん方と同級生くらいしかありませんでした。

それ以外は実生活とは無縁の別世界に住むテレビの人達でした。

つまり僕の世界に恋愛対象になりそうな女性や女子はおらず、その候補になりそうな人もいませんでした。

同級生の中にはキレイだなとかかわいいと思う女子が何人かのいましたが、せいぜいがそう思うだけで会話すらなく学校を卒業しました。

そういう環境で生きてきたので冬物語の中で普通に同世代の女性と会話している主人公たちを見て、自分も大学生になったら同世代の女性と仲良くなったり、もしかしたら彼女ができるかもしれないと淡い期待を抱いていました。

また、他に漫画で学んだことは異性を好きになるというのはとても大事なことで、大切なことで、尊いことで、自分の命と同じかそれ以上に価値があるということでした。

好きになった女性にはその事で辛い目に合わせてはならないし、自分に好意を寄せてくれるような貴重な女性も傷つけてはならない。

この漫画の主人公である優柔不断な男性がする考え方や行動を、僕は恋愛なのだと思い込んでいました

今思うと優柔不断な男性は三角関係を構成して漫画を維持するのに必要な条件だったのだろうと思います。

 

大学生時代

その後、僕は運良く受験戦争に勝ち抜くことができ、高校を卒業した時には列車が数時間一本しか止まらない田舎からようやく脱出できると喜んでいました。

ところが、期待に胸を膨らませて進学した大学は、地方の工業大学で、余計なことを考えずに勉学に励むには最適の場所でした。

信じられないことにそれまで住んでいた田舎と大きな差がなかったのです。

少なくともテレビで放送されていたような東京にあるというディスコやサークルなどとは無縁の長閑な地域でした。自転車で30分かかる最寄り駅にはかろうじてデパートが1件あるだけで期待していたような華やかなお店は皆無でした。

さらに工業大学だったのでクラスの男女比率に大きな偏りがあり、数十人のクラスに女性が一人しかいませんでした。

大学に入学した当初に僕は卒業して東京で就職することを夢見ましたが、1週間もしたら環境に適応してそんなことは忘れてしまって、高校時代と同じように暇な時間は本屋や中古本屋、中古ゲームショップを見て歩いていました。

 

社会人時代(30代まで)

大学卒業後は就職氷河期と呼ばれる就職難の時期でしたが、運良く東京の会社に就職することができました。

ところが、やっぱりIT関係だったのと就職氷河期が禍して同期の女性比率は1%程度しかおらず、さらに自分のコミュ障が禍して同期のグループとも疎遠になっていきました。

それから時間はあっという間に過ぎて30歳くらいの時に知り合いの知り合いみないな繋がりで女性と付き合ったことはありましたが、ギクシャクした関係のまま疎遠になり終わりとなりました。

 

アラフォーではじめた婚活

さらに約10年が経過し初老と呼ばれる年齢が目前に迫った時期になってようやく自分から行動を開始しました。

いわゆる婚活というやつです。

気持ち半分やっても無駄だろうと諦めていましたが、活動開始早々、大きな学びがありました。

それは女性ひとり一人、違うことがわかったことでした。

何を当たり前のことを言っているんだと思われるかもしれませんが、小説や漫画などでは物語を展開させるためや読者への分かり易さを優先して、ステレオタイプな女性キャラクターを登場させることがよくあると思います。

明るく活発でスポーツな得意な女性や、思いやりがあり優しく細かいことによく気がつくお姉さんキャラだったりなどです。

実際に会って話をした女性は当たり前のことなのですが、年齢や見た目めや身長や体重はもちろん、好みや性格や話し方もそれぞれ全く違っていました。

百聞は一見にしかず、と言いますが、1人の人間のすべてを文章で書き表すことなどはできないのです。

そういうふうに女性に対する認識を新たにしつつ、同時に恋愛についても考えを改めました。

 

婚活を始めるまでは自分みたいな見た目が悪くてコミュ障で性格も悪いおっさんと付き合おうと思ってくれる女性はとても貴重なのでこちらは条件は問わず誰でもいいから付き合ってみようと思っていました。

新しく考えたのは、あと何年何十年間続くかわからない自分の人生を一緒に歩めそうかどうかを基準にして付き合うことに決めたことでした。

年齢とか外見とか性格などひとつひとつの細かいことはどうでもいいのです。

人によっては若ければいいとか、何よりも容姿が大事だと、なるのでしょう。

でも僕にとっては人生のパートナーになってくれるかが最重要であり、それが唯一の条件でした。

好きか嫌いかもどうでもいいと言えばどうでもいいことでした。

嫌いな人と長く一緒に居られるとは考えにくいですが、総合的に自分でそう決めたのであれば可能性はゼロではありません。

ちょうど増田にタイミングよく関連する話題が注目されていたので引用します。

 

好きではないのに結婚しようとしている

5年付き合ったので、迫られる形で責任を取って結婚しようとしている

彼女の貴重な20代時間を潰した自覚もあるし、もうドキドキはしないしずっとレスだが、自分にはもったいない程良い人だと思う 思い出も愛情もある

 

そんなに好きではない相手と結婚していいかというお悩み相談ですが、僕としての答えはイエスです。

ただ条件として自分で納得して自分で決めることです。

 

僕は50年以上生きてきて未だに初恋とか恋に落ちるとかといったロマンチックな経験がありません。

中学高校は共学だったので可愛いと思う女子もいましたが、何しろ接点がなかったのでまったく進展はありませんでしたし、その後もほぼそれらしいイベントは起きませんでした。

会社の同僚の結婚式で何か起きないかと期待をしたこともありましたが何もなく時間だけがただ過ぎ去っていきました。

そういう待ちの姿勢がよくないと気づいたのは初老(40歳)が間近に迫ってほぼ手遅れになってからでした。

だからそんな僕だからこその感覚なのかもしれませんが、外見やその場の雰囲気で特定の異性に強く惹かれるという"恋"というのは若い時期にかかる流行り病の一種なのだろうと思っています。

 

でも、もし叶うなら一度でいいから自分のすべてを捧げてもいいというような"恋に落ちる"、"Fall in love"、"燃えるような恋"という感覚を味わってみたいという願望もあるのですが、現実的に可能性がありそうなのは恋愛詐欺(ロマンス詐欺)くらいと思っています。

手頃な"推し"が見つかれば趣味や生き甲斐にもなって一石二鳥でしょうけど、それは恋に落ちるとは違う気がしますし、そんな"推し"すら今までなかったのにあと数年で60歳を迎える年齢になって夢中になれるものが見つかるとは考えにくいです。

 

「恋愛と結婚は違うのか」という議論について

YouTubeを見ていると、主に結婚相談所の動画で恋愛の延長で結婚すると失敗するから結婚は相談所でアドバイザーとよく相談して進めるのがいいみたいな話をよく見かけます。

重要なポイントは恋愛の内容が人それぞれで違うということだと思います。

多くの人にとって恋愛とは呼べないような関係でも当人にとってはまじめな恋愛の場合もあるでしょうし、生涯をかけた恋愛の場合もあるでしょう。

前者の極端な例としては、「中年男性がまだ十代に見える女性アイドルに求婚して女性アイドルが泣きそうな顔で「そういうの勘弁してください!」と訴えている」という動画を見たことがありました。

客観的にはその状況は中年男性による女性への虐待にも見えるのですがその中年男性にとってはまじめな恋愛なのかもしれません。

当人の心の中のことなので当人以外はわかりようがありません。

他にはホストに入れ込む女性や、水商売の女性に夢中になる男性の例も同じでしょう。

そういう人の中には真剣に結婚を考えている人もいるでしょうから、結婚相談所や親の立場からすると、そういう人たちに対して「恋愛と結婚は違う」と言いたくなる気持ちはわかります。

一方で学生時代から付き合ってそのまま結婚して幸せに暮らしている夫婦もたくさんいるでしょう。

学生恋愛が続いて結婚して幸せに暮らしている人たちからしたら、恋愛と結婚は同じになるはずです。

だから恋愛と結婚ついての議論は、本人の恋愛についての考え方次第となります。

 

まとめ

僕は学生時代は彼女ができたことがなく社会人になってもほとんど女性と交際したことがありませんでしたが、初老を迎えてから運よく結婚できました。

妻とは結婚して10年以上が経っており、今でも大好きで一緒に出かけるときは楽しいですし、これからも人生が続く限り一緒にいたいと願っています。

でも、映画やテレビや漫画でよく見る”恋に落ちる”とか”キュン”とか””その人のこと以外は考えられない”という恋愛は経験したことがありません。

両思いどころか一途に一人の女性を想い続けるといった片想いすらありません。

そういう恋愛を知らない僕という人間は、何かが欠けているのかもしれないと時々思います。

投資の地動説と金の歯車

2023年3月に50歳で会社を退職したらくすけです。

今回は投資に対する自分の考えを書いてみようと思います。

 

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注意事項

この文書を含む本ブログサイトでは投資について推奨も否定もしていません。

一般に投資は自分の余裕資金をリスクのある経済行為に投じて利益をえることを目的に行うものなので、投じた資金の一部、または全額、あるいは信用取引などではそれ以上の金額を失う可能性があります。
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投資の天動説

YouTubeを見ていると退職金を投資して損をしたという話をたまに聞きます。

 


www.youtube.com

 

上記動画の4:42あたりに「お金の失敗談」の話しがあり、退職金の一部を株に投資して大きな損失を出してしまったとのことです。

投資なので損をすることもあるでしょうが、金額が大きく短期でやめているのでギャンブルの様なことをしているように見えてしまい、不思議に感じてしまいます。

不思議に感じるのは、まるで自分を中心に世界が回っているかのように自分の都合で投資しているからです。

投資の天動説

 

自分の年齢が理由で会社を定年退職して、定年退職に合わせて退職金が振り込まれて、退職金というまとまった資金を手に入れたタイミングで、これから株価が上がる将来有望が投資対象が登場して、そこに投資して利益を得る。

どんな奇跡的な偶然が重なればそんなことが起きるのでしょう。

投資で成功するには、適切な投資先に、適切なタイミングで資金を投じる必要がありますが、何が適切だったかはすべてが終わってからでないとわかりません。

投資で退職金を失った人から話を聞いたことがないので想像になってしまいますが、おそらくまとまった現金が銀行口座に振り込まれたのを目の当たりにしてこのまま置いておくのは「もったいない」と思ったのではないでしょうか。

1980年に郵便局の定期預金の金利は7%以上だったので、その頃のことを知っているなら今の限りなく0%に近い金利に我慢ができなくなったとしても理解できます。

そして大事な退職金を無駄にしないために、”絶対に損しない”、”安全安心”、”高利益”などの条件で投資先を探したのでしょうが、真偽含めて様々な情報を得られる現代社会で詐欺まがいの投資に引っかかったり、ローリスクのインデックス・ファンドへの投資だったとしても急な株価下落で思わず全額売ってしまったりなどして大きな損失を出してしまったのではないかと思います。

実際にどうだったかはわかりませんが、気持ちはよくわかります。

多くの人にとって退職金は人生の大半をかけてようやく手にすることができる大金です。

普通は一生に一度のことでしょう。

それを無駄にしたくない、できるだけ有効に活用したい、という感覚は誰でも持つものではないでしょうか。

ただ自分の都合で投資を行っても上手くはいかないのが普通でしょう。

社会の仕組みを使ってお金を増やすという投資という行為を、自分の都合で自分中心に考えて行ってしまう考え方を、僕は「投資の天動説」と呼んでいます

 

投資の地動説

一方で社会中心に考えて投資する「投資の地動説」もあります。

時に自分を卑下する意味合いで自分のことを「会社の歯車」と言うことがあります。

自分が会社の役に立っているのと同時に、ひとつの歯車にすぎない自分がいなくなっても他の歯車、社員に置き換えればこれまで通り会社は動き続けるので、必ずしも自分が会社に必要とされているわけではないという意味も含まれています。

この歯車の喩えは社員を歯車に喩えるだけでなく、会社を「社会の歯車」に置き換えることもできます。

今の社会で必要とされている仕事は1人でできることはほぼなく、多くの企業や組織が担っています。

つまり社会はそれらの企業などによって支えられているとも言えるので、各企業や団体を仮想的な大きな歯車に置き換えて考えることもできます。

たとえば、何らかの理由で企業が倒産したとするならそれまで担っていた役割は他の企業に代替えされるでしょう。

それは人の場合と同様に歯車が置き換わるイメージと同じになります。

私たちが生活している社会を縁の下で支えている様々な会社を歯車に喩えて、その歯車が回り続けることで社会が成り立っているというイメージです。

そして会社である歯車が回ることでお金が動くのでそのお金が動く仕組みを上手く使って投資することで利益を得ようとするのが「投資の地動説」です

投資の地動説

そういう歯車のイメージで社会全体を考えてみた時、極稀に特別な歯車が見えることがあります。

僕はそれを「金の歯車」と呼んでいます

何が特別かと言うと、今までに見たことのない製品やサービスを提供することで社会そのものを変えてしまうかのように見えるからです。

そういった画期的な製品やサービスもいずれ競合の製品やサービスが登場して当初の特別感が失われて金の歯車も普通の歯車に変わってしまうのですが、ただ、その頃には会社の規模が大きく成長して全く違ったものになっているでしょう。

 

過去に僕が見た金の歯車の例は、iPhoneを発売した当時のアップルでした。

当時のアップルは携帯音楽プレーヤー業界で人気の製品を販売していましたが、過去に携帯電話を発売したことはありませんでした。

そんな新参者の会社が発売する今まで見たことのない板の様な携帯電話に不信感を感じる人も多かったと思います。

当時のアップルのCEOはiPhoneのことを「電話の再発明」と言っていたそうですが、僕は「もっとも身近なコンピューター」だと思っていました。

当時、インターネットを使うには机の上に置かれたパソコンが必要で、たぶん、多くの人にとってとても敷居が高かったのだと思います。

高い敷居は、数十万円という金額やモデムやルーターといった機器との接続があったでしょうが、たくさんのボタンが並ぶキーボードに対する心理的ハードルも意外と高かったのかもしれません。

一方でiPhoneのソフトキーボードは馴染みがなくこれも心理的抵抗があったのでしょうが、こちらはあっさりと克服されて日本を含む世界中でiPhoneが普及していきました。

そして気がつけばアップルの時価総額は世界一になっていました。

ここまで大きくなった企業が過去と同じペースで成長するとは考えにくいので、もう金の歯車とは言えなくなります。

 

会社という大小様々な歯車が私たちの社会を支えるという「投資の地動説」における社会のイメージは、同じ社会を見ているはずなのに投資における意識や意味が「投資の天動説」とはまったく違うものになります。

日々の生活の中での気づきで見つけた特別な金の歯車の会社に余剰資金で投資した場合、将来、投資した会社が成長して株価が上がれば株を売ることで利益を得ることができます。

また、仮に期待した利益が得られなくても自分で見つけた会社の株を買うことはひとつの推し活と考えることもできるので人生にとって有意義なことだと思います。

人気の投資方法のひとつにオルカンなどのインデックス投資があります。

僕はこのインデックス投資をたくさんの会社の経済活動とインフレを利用した投資方法だと思っています。

投資の地動説のイメージなら歯車群が10年20年といった長い期間で見た時に徐々に大きくなっていくイメージです。

ただ業績が好調な会社があれば倒産する会社もありますし、好調な会社にも時期によって高不調があります。

だからインデックス投資は数年のような短期間でやめたり、〇〇ショックのような不況でやめてしまうのはインデックス投資と特長を理解していないように見えてしまいます。

ましてやインデック投資を証券会社の説明を真に受けて「年率〇%」の福利で増える定期預金のように考えてしまうのはとても怖いと感じます。

 

僕にとっての投資

僕が投資に興味を持ったのは高校生の頃でした。

きっかけは忘れましたがこの時期に新聞の朝刊を全部読むことを始めましたが、びっしりと企業名と株価が並んでいる株価欄だけは面倒で対象外にしていました。

この時に株を買って株が値上がりしたら売って利ざやを得ることができると分かってはいましたがどの株が値上がりするかはわからずじまいでした。

時間が経ち30代半ば頃には貯金が1,000万円を超えていました。

洗濯機置き場が玄関ドアの外にある1Kの木造アパートに住んでいて趣味がゲーム(FF11や買切り型のもの)と読書くらいしかなかったので、

生活費 < 手取り

状態で使わなかったお金が溜まっていった結果でした。

彼女はいなかったし当然結婚の予定もなかったので、僕はいずれこのアパートで孤独死すると思い込んでいました

ちょうどそんな時にお手頃な投資先を見つけることができました。

その1つがアップルです。

僕が子供の頃は政府が後押しするNISAのような制度はなく、投資は危険なものと言われていて僕もそう信じていました。

だから株を買う時はそのお金はもう帰ってこないという気持ちでいました。

同時に「生活費 < 手取り」状態の僕にとって、極端な話として、貯金が0円でも1億円でも実際の生活は何も変わらない、とも思っていました。

貯金の金額に関わらず、僕にはこのアパートで孤独死する未来しかないと考えていたからです。

結局、当時の貯金の大部分を個別株の購入に使ってしまいました。

投資信託は証券会社に支払う手数料がもったいない気がしたのと、インデックス投資に対する知識がなかったことから手を出しませんでした。

だから僕にとっての投資とはお金儲けではなく興味本位で始めた趣味みたいなものになります。

 

結局のところ

初めて証券口座を開設して20年近く経った今になって振り返ってみると、当時考えていた未来予想とはだいぶ違った老後になりそうです。

貯金は0円になるどころか家を買えるくらいありますし、結婚して子供もいます。

僕は退職前は社内で日程感がないとか計画と合っていないとかよく怒られていたので、あらかじめ計画を立てて計画通りに物事を進める能力に欠けているんだと思います。

子供の頃から夏休みの宿題は夏休みが終わる直前に着手して終わったり終わらなかったりしていた気がします。

まだまだ人生は続きそうなのでこれから何が起こるかわかりませんが、結果オーライで人生が終わるといいなと思っています。

 

 

 

 

 

投資系YouTuberさんの動画を見て、なぜ自分が会社を退職したか思い出した話

2023年3月に50歳で会社を退職したらくすけです。

さっきだらだらとYouTubeを見ていたら、ちょっとモヤモヤしてしまったのでそのことを書いてみます。


Side FIREした投資系のYouTuberさんの動画だったのですが、ブログとYoutubeの収益で月に約200万円もの収入があるそうでビックリしてしまいました。


www.youtube.com

僕も数年前に会社を退職してたまにアルバイトをしているのでSide FIREという同じような状況のはずなのになぜこんなにも差があるのか考えてしまいました。

 

S&P500最強伝説

日本で唯一のハゲアバターYouTuber兼ブロガー。ロードスター買ってSide FIRE生活してます




でも、そんなの考えるまでもなく当たり前のことです。

とても単純な話で、最強伝説さんは自分にしかできないYoutuberという職業で大きな収入を得ているだけなのです。

似た属性の人はYouTuberのヒカキンさんになるのでしょう。

株投資とエンタメでジャンルは全く違いますが、自分の才能をYouTubeでセルフプロデュースして収益化している点は同じに見えます。

彼らはそういう才能と数年間にわたる長期間の継続した努力があっての結果として今があるわけです。

一方、一向に芽の出ない自分の才能に見切りをつけて現実逃避してダラダラと時間を無駄にして生きてきた自分とは全く違います。


僕も最強伝説さんほどの収入は無理だとしても、就活を頑張ればどこか正社員で雇ってくれる所があるかもしれませんし、アルバイトを掛け持ちすれば収入を増やせるかもしれません。

でも、そもそも50年間の人生経験で自分がいかに仕事(色々な物事をスムーズに進めたり処理すること)ができないかを思い知り30年近く務めた会社を退職したのに、また就職するのは本末転倒な話です。

以前に元の職場の飲み会に参加させてもらったことがあるのですが、僕より年上の男性が年下の上司に対する不満(指示の出し方や伝え方など)を話しているのを聞いて、僕も退職していなかったら同じようなことを誰かに話していたのかもなと考えてしまいました。

大昔、僕がまだ学生だった頃、新聞の記事で優れた技術を身につけることで会社にとって不可欠の存在になり、たとえ人間関係で問題が起きても乗り越えられるという主旨のことが書かれていて自分もそういう存在になりたいと夢見ていました。

小学校、中学校とイジメられていたのもあって早く大人になって自由になりたいとずっと考えていました。

でも実際に会社に入ってみると、自分の不甲斐なさと向き合い続ける終わりにない日々が始まりました。

勉強ができるとかできないとかとは関係のないところで、仕事ができないということを痛切に思い知ることになりました。

やはり僕は根っからの省エネ人間なので、ネットでキラキラしている人たちと自分を比べたりせず、これまで通りダラダラ過ごすのが体力的にも精神衛生的にも合っていると思い直しました。


無理をしない。

好きなことだけして生きていく。

そう決めて会社を辞めたはずでした。


でも会社を辞めてから時間が経って減ったり増えたりする資産額を見ていると、

これでいいのか?

大丈夫なのか?

と具体性のない不安感が湧いてくることがあります。

今は学生のアルバイト程度の収入しかありません。

それなのに今後はインフレで生活費は上がっていく一方でしょうし、子どもの塾や学費でお金が湯水の如く出ていくことがわかっています。

つまり資産は減っていく一方ということです。

もちろんそういった支出も見越して大丈夫だと判断したからこその退職だったのですが、今の世の中は何が起こってもおかしくないので心配の種は尽きず、漠然とした不安感に襲われるわけです。

それって極論すると、事故に遭うかもしれないから外出しないとか、電車に乗らないとか、飛行機に乗らないという考えになってしまうナンセンスな考えだというのは頭では理解しているのですが、気分の問題なのでなかなかモヤモヤがなくなりません。

 


たぶん、梅雨で早朝散歩ができていないのが原因なので、梅雨が明けて少し歩けば気分も晴れるに違いありません。

今はそういうことにしておくことにします。

 

 

 

 

SpaceXのIPO抽選で落選した話やいろんな懸賞の話

2023年3月に50歳で会社を退職したらくすけです。
今回はSpaceXのIPO抽選や懸賞の話です。


SpaceXのIPO抽選で落選

スターリンクのサービスなどを提供するSpaceXが6月12日に株式を上場したことが日本のニュースでも報道されています。

news.yahoo.co.jp

 

僕もIPOの抽選に申し込んで見たのですが見事に落選しました。

もし100株分(1株135ドルなので13500ドル、約216万円)購入できていたら、株価は一時180ドルぐらいまで上がったそうなので、180-135=45ドル、つまり4500ドル(約72万円)を儲けられたかもしれません。

でも、有名で話題の会社の株なので購入できたら、たぶん売らずにずっと持っていると思います。

でもでもApple株も一生持っているつもりで買ったのに退職した時に売ってしまったので”一生〇〇のつもり”は全然に当てにならなりません。

 

SpaceXの株価は以下の記事によると、今年の8〜9月ごろに初回決算がありそこで株価が調整される可能性があるそうです。

なので、僕はその記事を信じてSpaceX株の購入はしばらく様子見するつもりです。

 

news.yahoo.co.jp

 

いろんな検証に応募しても当選せず

ところで、みなさんは懸賞に応募したことはあるでしょうか。

僕は目についた懸賞は応募するようにしています。

最近もチョコレートの懸賞に応募しました。

www.meiji.co.jp

こういう商品についている応募券を集めて応募する懸賞は単なるアンケートなんかより当選確率が高い気がするのですが、なかなか当選しません。

キャンペーン事務局から何か届いたから、てっきり当選したかと思えば「ハズレ」の連絡だったり。


先日(6月10日)はドリームジャンボ宝くじの当選番号の発表がありました。

これもやっぱり当選せず、いつもの300円でした。

こういろいろ立て続けに落選やハズレが続くとやる意味があるのかな?という疑問が湧いてきます。

だから僕が好きな好きな懸賞(?)は「必ず当たる」「必ず貰える」タイプのプレゼントです。

そんなのあるわけないとか、詐欺とか、怪しいのはたくさん転がっていますが、稀にお得なのがあったりします。
たとえば、マイナンバーカードの手続きで2万円相当のポイントが貰えるとか、三菱UFJ銀行の口座開設などで3万円貰えたりとか。
どちらもすでにキャンペーンは終わってるのですが、ハズレがなくて確実に貰えるのが気に入っていました。

news.yahoo.co.jp

 

やっぱり自分は何も頑張らずにお得になるのがいいですね。

 

 

 

ずっと「世界の真理」を探し続けていた話

2023年3月に50歳で会社を退職したらくすけです。

今回は僕にとっての「世界の真理」が見つかった話しをします。

 

僕は物心がつく以前から好奇心が強い子供で誕生日やクリスマスに電気で動くおもちゃを欲しがりました。

そしてひと通り動かしてみた後はどうやって動いているかが気になって分解して仕組みを理解しようとしました。

単純なものはモーターが回って歯車が回ってタイヤが回って車が前に進むとわかるのですが、電子部品関係の基板にコンデンサや抵抗やICが載っかった部品はお手上げで全くわかりませんしどうすればわかるのかもわかりませんでした。

当時はネットもないので検索もできませんし当然AIに質問することもできませんでした。

 

ちなみに学校の勉強はあまりできませんでした。

僕は人より集中力がないせいかものを覚える事ができなかったので、漢字は大人になった今でも苦手ですし、字もヘタですし、数学の公式も覚えられず、学校の成績はよくありませんでした。

スポーツもダメで球技全般もヘタでしたし走るのもクラスでビリではありませんでしたが下から数えた方が早かったと思います。

野球もサッカーもできないというより興味がなかったのでルールもよくわかっていませんでした。

勉強もスポーツもダメ、だからと言って歌や絵や他のことに才能があった訳でもなく、むしろそっちの方が酷いという話までありました。

 

だからと言うのも変な話ですが、特に趣味もなくすることもなかったので、子供の頃からよく本を読んでいました。

最初はズッコケ三人組などの児童向けのお話、次は母が読んでいた赤川次郎さんや西村京太郎さんの推理小説、祖母の時代小説など片っ端から目についた本を読みました。

本に書かれている物語は最初は主人公たちの状況説明があって次に何か事件や問題が起きて最後に主人公たちが隠されていた謎や秘密を暴いたり黒幕を見つけ出したりしてめでたしめでたしで終わることがほとんどでした。

本を読んでいる間はこの謎が諸悪の根源のように思われていて、この謎が解明されれば皆が幸せになれることになっていました。

僕はいつしか小説の中での謎や秘密の解明が現実世界の問題解決につながるような気がしていました。

少なくともそういう期待を持って本を読むようになっていたので、どんどん夢中になって本を読むようになっていました。

 

僕は特に才能と呼ばれるようなものを持たずに生まれてきたために何かこの状況を一変させる方法を求めて、本を読んだりアニメを観たりしてファンタジー世界の賢者の石のような魔法のアイテムの手がかりを探し続けていました。

賢者の石というのは大昔から言い伝えられている伝説の道具で、石を金に変えたり、病気を治したり、不老不死にしたりできると言われています。

こういった伝説の道具は世界各地にあって中国では不老不死で不思議な力を持つ仙人になれる薬は仙丹や霊薬と呼ばれています。

 

しかし当然のことながらこういう本を読んでも学校の成績も運動もその他のこともまったく上手く行きませんでした。

ただ相変わらず漢字を書くのは苦手でしたが読むのは、たぶん人並み程度には読めるようになっていましたし熟語や諺(ことわざ)もわかるようになっていました。

これは読書のおかげでしょう。

 

高校生のある時期、毎朝、新聞を隅から隅まで読むことを始めました。

読む本がなくなったのと、身近にある読み物が新聞だったことと、新聞は受験にいいと何かで聞いたのがきっかけだったと思います。

それまでは4コマ漫画とテレビ欄しか見ていなかったのですが、一面から4コマ漫画のページまで広告欄含めて内容は分からなくてもとにかく読みました。

ただ株価のページだけはギブアップして読むのを諦めました。

細かい文字で企業名の略称と株価が並んでいただけだったからです。

たぶん、この時が僕と株との最初の出会いでした。

ふと気になって株の本を買って読んだりもしましたが、どうすれば儲けることができるのかはさっぱりわかりませんでした。

 

それから10年以上たった2007年のある日、世界のIT業界の人達がCESに注目していた時に、アップルコンピュータの定期イベントでCEOのジョブズ氏が新製品iPhoneのデモを行いました。

ジョブズ氏はiPhoneを「電話の再発明」だと言いましたが僕はこれこそが「真のパーソナルコンピュータ」だと考えました。

当時の個人が持っているコンピュータは有線で接続されモニターがあり大きな本体がありキーボードやマウスで操作するのが普通でした。

多くの人にとってコンピュータは身近な存在とは言い難い存在で価格も高いので一部の物好きか仕事で必要に迫られた人が使っていました。

僕は携帯電話で普通にネットを見れたり様々な操作ができるなら、人と物、人と人の距離が一気に近づき社会が大きく変化すると考えました。

当然、その社会の変化の前提としてiPhoneの普及、つまり馬鹿みたいにiPhoneが売れてアップルコンピュータの売り上げが伸びて株価も上がるに違いないと考えました。

その時は日本でアメリカの会社の株を買えるかすらわかりませんでしたがほんの数年前ネット証券がサービスを始めていたの株を買うことができました。

それから15年以上が経った頃、アップルの株価は買ったときの40倍以上になっていました。

 

かつて錬金術師と呼ばれた人達がいました。

彼らはヘルメス思想に基づき宇宙にある物質はすべて第一質料(プリマ・マテリア)からできており、大宇宙(マクロコスモス)と小宇宙(ミクロコスモス)は対応関係にあると考えていました。

具体的には、大宇宙にあたる天体現象と小宇宙にあたる人間の運命には対応関係があると信じていました。

そこから考えを発展させて、対応関係があるなら小宇宙の変化が大宇宙に影響を与えると考えました。

錬金術師達は卑金属を金に変えたり不老不死だけでなく、小宇宙に相当する坩堝やフラスコの変化を通じて大宇宙、つまり実際の宇宙そのものを完成させることができると信じていたそうです。

しかし、17世紀に最後の錬金術師とも呼ばれボイルの法則として有名なロバート・ボイルにより「懐疑的な化学者」が公刊されたことにより、錬金術が前提としていたアリストテレスの四大元素論や三原質論が完全に否定されることになり、錬金術の時代は終わりました。

 

現代から考えると1000年以上にわたり多くの錬金術師達が誤った前提のもとに様々研究・実験を行ってきたことになります。

でもそれらの行為がまったく無駄に終わったかというとそんなことはなく、錬金術の研究の過程で予想していなかった副産物が生まれました。

蒸留技術の発達やアルコールやアルカリなど化学技術の発展(”AL”はアラビア語の定冠詞)、医化学の始まりなど、今日の便利な私たちの生活を支えてくれている科学を生み出したのです。

 

 

錬金術師の話をしたのは目的と行動と結果についての話をしたかったからです。

科学が生まれた経緯を見ると、金や不老不死や宇宙の完成といった壮大な目的のために行った様々な試行錯誤、つまり様々な材料を集めたり分類したり、加工したり、蒸留したりといった行為が物事に対する理解を深め技術を高めて科学の誕生を促したのだと思います。

要は目的よりも実際に行った行動が大事なのだということです。

 

つまらない結論になりますが、人生の大半において行動し続けたことが、その目的が達成されたかどうかに関わらず、その人の価値なのだと思います。

そうすると僕の価値は、何かを読むことによって、新しいことを知ったり理解したり、まだ知らない何かを知ろうとすること、なのだと思います。
実際、そういうことは嫌いではないですし好きなことなので、これからも続けていくでしょう。
たぶん死ぬまで続けるかもしれません。

つまり、それが僕にとっての「世界の真理」のようです。

 

 

 

 

 

ナフサ不足でダンボールが作れなくなる話

たまたまYouTubeで観た動画が興味深かったので少し自分でも調べてみました。

結論から言うと、ナフサ不足によりダンボールが製造できなくなったり、水道水の消毒ができなくなるという話です。

 

動画を観ながらまとめた図が下記です。

ダンボール製造

 

紙の製造(製紙)やダンボールの糊(のり)に必要な苛性ソーダ(塩化ナトリウム)という物質は食塩水を電気分解して精製するのですが、その精製時にかつて戦争でも使われたこともある危険な塩素ガスも大量に発生してしまいます。

今はこの大量の塩素ガスをエチレンと組み合わせて塩ビ管などの材料になる塩化ビニルモノマーという物質を作ることで無害なものに精製できると共に建築材料にもなるという一石二鳥の対応ができています。

しかし、石油・ナフサ・エチレンの一連の材料が枯渇することで、塩素の用途が消失するので苛性ソーダも作れなくなってしまうという恐れが出てきました。

つまり、苛性ソーダが作れないので紙もダンボールも作れないという結論になります。

ついでに言うと、苛性ソーダがないと苛性ソーダから作られる次亜塩素酸ナトリウムも作れないので、浄水場で水道水を作れなくなってしまいます

 

もちろんイチ・ゼロの話ではないので、苛性ソーダをまったく作れなくなるということはないでしょうし、石油由来の原料なしでどの程度の塩素の処分・中和・再利用が可能なのかの実際のところは素人の自分にはわかりません。

それでも、原油が入ってこないことで、原油とは無関係に思えるダンボール製造に影響するリスクがあるというのは考えたことのない盲点でした。

僕は悲観論者なので中東から資源が入らなくなって日本国内の物流業や製造業や建築業や小売業など幅広い領域で事業を行えなくなりコロナ禍以上の影響がありそうな気がしています。

でも、個人では対処のしようがないですよね、この問題って。

 

解決方法は前のブログに書いたように米国がイランの要求を受け入れてイランがホルムズ海峡を解放するしかないと考えていますが、米国が素直になるには世界経済(日本含む)がパニックになり米国に波及する程度に状況が変化する必要があるので、あと1〜2か月くらい先になるのかも知れません。

今の日本政府は”目詰まり解消”に力を入れているようです。
GWは例年通り全国で交通渋滞が起きて燃料を消費するんでしょうか。
でも、本来は節約と根本問題解消のための外交努力が必要だと思います。

www.youtube.com

 

 

 

 

 

ポケモン未経験の50代男性が「ぽこあポケモン」を遊んだ感想

2023年3月に50歳で会社を退職したらくすけです。

3/5に発売された「ぽこあポケモン」(以下、ぽこポケ)を遊んだ感想を書いてみます。

 

ぽこポケを買った理由

もともとこんなゲームが発売されることは知らなかったですしポケモン自体に興味がなかったのでまったく買う気はなかったのですが、任天堂が作ったマインクラフト(以下、マイクラ)の様なゲーム(サンドボックス型と呼ぶらしい)とわかり、評判もいいのでダウンロードで購入しました。

最近はゲームもあまりやらなくなっていて、マイクラも小学生のこどもと一緒に昨年、サバイバルのストーリーをした程度です。

子どももマイクラは好きで一緒に自動ドアやTNTキャノン(爆弾を組み合わせたミサイルみたいなもの)を作ったりしています。

 

ぽこポケは楽しい!

そして、どうなったかと言うと買って10日間で40時間以上プレイと結構ハマっています。

さらに、ゲームはいつもならすぐに攻略サイトを見て一番楽なルートを選んで進めてクリアを目指すのですが、このぽこポケは意図的に攻略情報を見ないようにして手探りで進めています。

なぜなら、ポケモンたちと協力して街を復興させること自体が楽しいからです。

今はまだ2つ目の街の復興が終わったばかりのところで、まだまだ序盤の序盤かと思っていますが、自分の中では早く進めたいという気持ちと終わってほしくないという気持ちがせめぎ合っています。

 

ゲームの概要

そもそもこのゲームは自分がメタモンというポケモンになって、ニンゲンやポケモンのいなくなった廃墟の街を探索しながら少しづつポケモンを見つけたりポケモンの家やポケモンセンターを建築して街を復興させたり、ニンゲンがいなくなってしまった謎を追ったりといろいろなことを同時並行で進めていきます。

主人公のメタモンのできることは最初は少ないのですがポケモンたちとのやり取りを通じていろいろな能力を獲得していろんなことができるようになっていきます。

たぶん最終的にはマイクラのクリエイティブモードに近い感じなると推測していますが、現時点ではどうなるかまったくわかりませんしわかりたくないので、アレコレ推測しながら楽しんでいます。

 

マイクラとぽこポケの違い

ぽこポケもマイクラのように正立方体のブロックを組み合わせた世界で街を作ったり家や建物を建築したりしますが、以下のような大きな違いがあります。

 

1.見た目が四角くなく、どうぶつの森に似ている

マイクラは見た目で明らかなほど四角っぽいブロックで世界が構成されていますが、ぽこポケは極力四角っぽさを見せないようになっています。

言い方を変えると四角いままの表示になっている物は皆無といっていいくらいマンガっぽくデフォルメされて表示されています。

表示されるイメージは「どうぶつの森」とよく似ていて、ポケモンたちとの会話での吹き出しや効果音もどうぶつの森とそっくりです。

 

2.ポスト・アポカリプスの世界観

上記でも書きましたがこのゲームの舞台はニンゲンが去った廃墟です。

こういう終末世界のことをポスト・アポカリプスと言うそうです。

そして僕は廃墟が好きで、いつか世界遺産にもなっている軍艦島にも行ってみたいと思っています。

廃墟はそこで生活していた人々の記憶が様々な物に残っていていろいろ想像力を掻き立てられますし、その社会の象徴となるような立派な建築物が朽ちているのを見ると歴史の積み重ねや盛者必衰という言葉が浮かんできます。

こういう世界観の物語で思い浮かぶのは、映画なら「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」、小説なら菊地秀行氏の「風の名はアムネジア」、最近の作品ならアマプラで観た「Flow」があります。

 

 

 

そういう廃墟で日々散らばっている石や木材などのゴミを拾ったり土砂に埋もれた家を整地してポケモンたちの力を借りながら新しい家を建て直していくというのがこのゲームです。

 

3.死なないし敵もいない

主人公のメタモンは通常はニンゲンの姿に変身して行動していますが高いところから落下したり狭い場所に入ると一瞬元のメタモンの姿に戻ります。

でも死ぬことはありません。

ただ水に沈んでしばらくすると画面が暗転して水に沈むちょっと前の画面に戻り状況から死んだような見せ方になります。

でもお金やアイテムを失うなどのペナルティはありません。

そして主人公に襲いかかるモンスターもいません。

 

4.にぎやかな街中

ぽこポケの序盤はともかく、ある程度ゲームが進んでポケモンが増えてくるとポケモンから頻繁に話しかけられるようになりますし、ポケモン同士でコミュニケーションを始めるのでとても賑やかになっていきます。

マイクラでも自主的に動くキャラクタ(モブ)はいて、ゾンビなどの敵キャラは遅い買ってきますし、牛や羊などの動物もいて餌を見せると寄ってくるし攻撃されると逃げたり狼は羊を襲ったりするのですが、単純な行動しかしません。

対してもぽこポケはポケモンと会話してたり相性が合えば仲良しになったりと個性があるので楽しいです。

そういえばポケモン本編のポケモンとは会話ができないみたいなので、以前からポケモンで遊んでいた人からするとぽこポケで様々なポケモンたちと会話できるのは新鮮な感覚かもしれません。

 

5.ご都合主義

ゲームなのでいろいろと”え?”と思うことがあります。

ハンバーグの材料が枝豆だとか家電の材料に電子部品が含まれていないとか自動販売機が中途半端に動いたりとか、いろいろあるので細かいことに拘らない広い心が必要かもしれません。

マイクラは主人公が素手で岩や木を砕ける超人ということを受け入れられればそれほど無理なことは起きませんが、エンチャントという魔法が出てくると結構なんでもありになるので、ぽこポケもマイクラのどちらもゲームなので何でもありということなんでしょう。

 

6.現実の時間との連動

ぽこポケの時間の流れは現実の時間と連動していて、現実が昼ならゲーム内も昼、現実が夜になったらゲーム内も暗くなって夜になります。

ポケモンも時間に合わせて眠ったり活動していたりしているので、しばらくゲームを続けているとポケモンと一緒に暮らしている感じがしてきてポケモンたちに親近感が湧いてきます。

ちなみにマイクラでは昼15分間、夜15分の1日30分なのでだいぶ違います。

 

こういう感じで賑やかで平和なマイクラみたいなぽこポケを日々楽しんでいます。

 

ポケモンってなんだろう

ところでポケモンはそもそも何なんでしょう?

ゲームに登場する架空の生物というのは分かるのですが、その発想の元がちょっと不思議に感じました。

僕は実際にオリジナルのポケモンを遊んだことがないので間違っているかも知れませんが、ポケモンという遊びの原点は子どもがカブトム通しを戦わせたり大人が闘鶏や闘犬で動物同士を戦わせたりと人が別の生き物同士を戦わせることだと思っていました。

また、古代から人は未知のものや不思議なもの人知を超えたものを神、精霊、妖精などと呼んでいました。

たとえば火の妖精のサラマンダーとか水の妖精ウンディーネとかです。

ポケモンの世界は地球とは別の惑星らしいので地球の神話は登場しませんが、発想元は神話と同じで、たとえば電気の妖精ピカチュウみたいな感覚だと思っていました。

ところが、ヤブクロンのようにゴミに関係した現代的なポケモンも存在するので、妖精というよりも”モノに魂が宿る付喪神(つくもがみ)”や“八百万(やおよろず)の神”、または妖怪的な発想の方が近い気がしてきました。

日本のゲームですし、そういう考え方のほうが自然かもしれません。

 

なぜ今、平和なゲームが求められているか

このぽこポケは発売から4日間で220万本販売されたと発表がありました。

game.watch.impress.co.jp

確かにこのゲームが面白いからこそ前評判がよくなりたくさん売れているのだと思います。

ただ、それだけではなく、ここ何年もの間、現実の世界ではロシアやイスラエルとアメリカなどによる戦争が続いているので、平和な世界での癒やしが求められているのかもしれません。