まだ見ぬ地平を求めて

米国株投資で2億円の資産を貯めて2023年3月に早期退職した元会社員。妻と息子(小学生)の3人家族。

運のしきい値を下げる楽な生き方

2023年に50歳で会社を退職したらくすけです。

今年で54歳になりいい年齢になったためかいろいろな体の不調を感じるようになってきました。

今までは当たり前だと思っていたことに不安を感じたりできなくなるのは普通に悲しいです。

ただ、そういった辛いことを前向きに受け入れることで、だんだんと「何とかなるかも!」と思えるようになったので、そういう心境について書いてみます。

 

体の不調

老眼(?)

少し前、40代以降だと思うんですがメガネを外した方がスマホが見やすいことを発見しました。

最初は便利でいい方法が見つかったと内心よろこんでいましたが、そのうちにどうやら自分は世間一般で言う老眼というもので徐々に症状が進行というか悪化していることに気が付きました。

僕は裸眼の視力が0.1以下なのでメガネがないとくもりガラスを通して見てるような感じなので日常生活でメガネは手放せません。

ところが、スマホを見たりタブレットで本を読むときはいちいちメガネを外さなければならず、ちょっと面倒くさいことになってしまい困っています。

書類などに字を書く時もちょっと不便です。

僕は漢字が苦手で小学校で習うようなちょっとした漢字も分からなくなりスマホの辞書で調べたりするのですが、「日」と「目」のような形が含まれる画数が多い漢字は線が何本あるのかわからなくなり文字を書けなくなります。

これはハズキルーペを使うことで、字も読めるし文字を書きやすくなりかなり不便さを改善できたのですが、メガネ以外にさらに道具が増えてしまい面倒さは増してしまいました。

 

 

 

五十肩(?)

去年の秋頃、急に右肩が痛くなり、最初は寝違えたかなと思っていたのですが、1年経った今でも痛みが引かず不便な生活を続けています。

五十肩の症状でよく聞く腕が上がらなくなるというのはないのですが、ちょっと背中側に腕を回そうとすると痛みがあり、服を着たり脱いだりするのが面倒になってしまいました。

どうやら自然には治りそうにないので、試しにフルスルチアミンという成分が入っているビタミン剤を飲んで様子見中です。

このビタミン剤を飲み始めて1か月くらい経ちますがまだ痛みはなくならないので整形外科で観てもらおうと思っています。

 

 

 

コレステロール

今のところ実害はないのですが、一番怖いと思っているのがコレステロールです。

悪玉コレステロールと言われるLDLコレステロールが170くらいあり(基準値は120以下)、去年、体重を73kgから63kgへと10kg以上減らしたのですが、基準値より下がることはありませんでした。

lucky-slc.hatenablog.com

病院の先生から体質でしょうと言われています。

毎年、健康診断はしているので、病院の先生と相談して数値によっては薬を飲むことになると思っています。

 

歯

歯については結構後悔しています。

具体的には、①定期検診をすべきだったことと、②電動歯ブラシやフロスなどを早く使うべきだったことの2つです。

時代のせいもあってか子どものころから定期検診の習慣がなく、虫歯になって歯が痛くなってから歯医者に行くというパターンをずっと続けていました。

結果、銀歯や被せ物がたくさんできてしまいました。

最近では銀歯が取れて歯医者に行くこともあります。

また、長い間、普通の歯ブラシしか使っておらず、時間をかけて隅々まで丁寧に磨けてもいなかったのと、体質のせいもあったのかもしれませんが、よく虫歯になっていました。

数年前に自分の母子手帳を発掘してパラパラと見ていたら3歳検診の時に虫歯が8本もありました。

これは自分ではどうしようもなかっただろうと思うのですが、やっぱり小さい頃から歯のトラブルに悩まされていたことを確認できました。

今現在は年に4回くらい何もなくても歯医者に行くようにしていて、だいたい落ち着いているのですが、たまに歯茎が痛くなり1週間くらい痛みが続き片方の歯でモノを噛めなくなったことがあり、結構、辛いです。

 

胃腸

これも多分40代くらいからですがお腹を壊すことが増えました。

それを何度か繰り返しているうちにどうやら、油そばや焼肉などで脂っこい料理や脂肪分の多い食べ物を食べた日はお腹が張る感じになり壊れるらしいことがわかりました。

それに気づいてからは食べるものに気をつけることでお腹を壊すことを避けられるようになりました。

 

 

現実は変えられないが受け止め方は変えられる

目とか肩とか胃腸とか、少なくとも30代までは想像もしていなかったトラブルが起きていて自分の考え方も変わってきた気がします。

体の不調が起きたり、新しい不調が発生した後に少し落ち着いてくると、「自分は運がいい」と考えるようになりました。

なぜ体の不調が「運がいい」につながるかと言うと、老眼で言えばちょっと不便だけどまだ全然見えるから目が見えない人と比べれば良い方だとか、五十肩ならまだ腕は上に上がるし普通に生活できているから状態の悪い人と比べれば良い方だ、と考えるからです。

だから、たぶんこのまま加齢が進んでいろいろできないことが増えても、まだ歩けるとか、まだ生きてるみたいに屁理屈を考えて、「運がいい」という結論に持っていくんだろうと思います。

つまりどんなに嫌なことが起きても「自分は運がいい」ことにして現状を前向きに受け入れることができるということです。

運の善し悪しの判断基準というのは決まりはないので、好きに決めることにしました。

僕はこれまで生きてきて人に褒められたことがなく、自分でも自分の優れていることや自慢できることがないと思っています。

だからなのか生きてきて嫌なことや辛いことばかりだった気がします。

さらにこれからは加齢に伴う体調不良が加わるのでもっと嫌なことは増えていくのでしょう。

そして、そういうある思い通りにならない辛い現実は僕にはどうすることもできません。

でも現実をどう受け止めるか、どう感じるかは僕が決められるのです。

たとえそれが気休めだとしても、少しでも心が楽になる方法があるのならそうしない手はありません。

だから僕は現状に合わせて運の良し悪しの判断基準を下げて、「僕は運がいい」という結論に持っていくのです。

 

子供の頃から楽なことを選んできた

子供の頃から、上手くいかない、辛いことが多いと感じていて、少しでもこの辛さを避けるために、期待しない、目標を持たないようにしてきました。

 

僕が子供の頃に過ごした地域は人口が数千人程度しかおらず田んぼや畑、山や川がある自然豊かなところでした。

当時はネットもなかったので、小学生のほとんどはスポーツ少年団という団体に加入して学校のグラウンドでみんな野球をしていました。

僕は運動が苦手で野球も好きでなかったので周りと馴染めず本ばかり読んでいました。

運動が苦手だからといって勉強ができるわけでも好きでもなく、勉強をしなかったので当然テストも成績も悪かったのです。

要は何にもヤル気がなく帰宅部で、学校から家に帰ってゴロゴロしてテレビを見て過ごすという、なんともだらけた生活をしていました。

 

でも変なプライドがあって誰かに負けるには嫌でした。

自分が人よりいろいろ劣っている自覚があるのに負けるのは嫌な場合にどうするか。

その時に競争しない、人と関わらないのが楽なんだと気づきました。

誰とも関わらなければ負けることも勝つこともないですし、誰かに迷惑をかけることもかけられることもありません。

だからテストの点数で高得点を狙って頑張るとか、誰々に負けないように努力するとか、そういう競争を避けるようになりました。

lucky-slc.hatenablog.com

 

最後に

改めて考えてみると、僕はずっと楽な生活を夢見てきました。

子どもの頃はそのためにひとりで過ごすことを選び、今は早期退職して家でゴロゴロしています。

加齢による体調不良は今後も続くし徐々に、あるいは急に増えたりするのでしょうが、その時も誤魔化し誤魔化しやり過ごすなり問題を先送りして可能な限り楽な生き方を選んでいこうと思います。

 

 

 

「いつの間にか富裕層」に対する違和感

2023年に50歳で会社を退職したらくすけです。

「いつの間にか富裕層」という言葉を最近になって聞いたので、そのことについて思ったことを書いてみます。

 

「いつの間にか富裕層」という言葉のイメージ

僕がこの言葉を聞いてイメージしたのは次の様な状況でした。

 

「いつの間にか富裕層」と聞いて想像した状況

夫:「そういえば、昔、買った株ってどうなったかな。久しぶりに証券会社のサイトにログインしてみようかな。

えーと、IDとパスワードを入力してと・・・ん、うん?桁がたくさんある?

うおぉ〜〜なんじゃこりゃ-----、い、1億円!」

妻:「日曜の朝っぱらから何大きな声出してんのよ?」

夫:「お、お、お、落ち着いてよく聞けよ。昔買った株が1億円に増えてる。。。」

妻:「マジで!?スゲーじゃん。家!家を買いましょう。それからアタシほしい服が何着かあるのよねー。」

夫:「オレも新しい車に買い替えたいな。そっか、これがウワサのいつの間にか富裕層ってやつだな。」

息子:「なに騒いでるの?」 娘:「どうしたのー?」

妻:「パパが昔買った株が1億円になってたんだって。◯男と◯子も好きなモノをパパに買ってもらいなよ。」

息子:「僕はラジコンカーがいい!」

娘:「わたしはロボットのペットがほしい!」

夫:「よしよし、何でも買ってやるぞー。なんてたって我が家は富裕層になったんだからな。ワッハッハー。」

 

 

辞書によると「いつに間にか」は、いつその状態になったか気がつかないうちに物事が進行していた様子を表す言葉です。

だから「いつの間にか富裕層」という言葉は、いつ富裕層になったのか気がつかないうちに時間がたっていたという意味になるはずです。

夢のような言葉だと思いませんか。

知らない間に資産が1億円に増えているんです。

そんなことが実際にあるんでしょうか。

 

NRIの定義による「いつの間にか富裕層」

NRIの資料を見てみると、実際は最初に僕が思っていたイメージとかなり違うことがわかりました。

ここ最近の株式相場の上昇で運用資産が急増して資産が1億円を超えた一般の生活者が対象だというのです。

 

www.nri.com

「いつの間にか富裕層」となる一般生活者

一つ目は近年の株式相場の上昇を受け、運用資産が急増したために富裕層となった層で、NRIではこれを「いつの間にか富裕層」と定義しました。年齢は40代後半から50代、職業としては主に一般の会社員で、従業員持株会や確定拠出年金、NISA枠の活用を通じて、運用資産が1億円を超えたケースが多く見られます。2022年に実施した「NRI生活者1万人アンケート(金融編)」の調査結果および近年のTOPIXの騰落などから試算すると、準富裕層から富裕層となった「いつの間にか富裕層」は、富裕層以上の世帯のうち1~2割程度を占めていると推察されます。

 

TOPIXとあるのでインデックス投資を想定しているのでしょうか。

ただ2021〜2023年の期間でTOPIX(東京証券取引所の代表的な株式指標)は大きく増加していません。

対して同じ期間オルカン(オールカントリー、世界株)は約1.3倍に増加しているので1億円を貯めた人が多いのはオルカンに投資しているのかなと思いました。

 

1億円は大金

当たり前の話ですが1億円は大金です。

2025年3月の2人以上家庭の可処分所得(収入から税金等を引いた手取り金額)は月額42万円程度だそうで、この可処分所得の全額を貯金したとしても1億円を貯めるには20年近くかかる計算になります。
(1億円 ÷ 2人以上世帯の可処分所得の平均金額(426,178円) = 234.6か月 = 19.5年)

 

www.stat.go.jp

2人以上世帯の可処分所得

飲まず食わずでさらに住むところもなしで働いて得たお金をすべて貯め続けても20年近い年月がかかるような大金が1億円です。

実際の収入は年齢によって変わるのでこの計算した期間はおおよその目安でしかありませんが、1億円がとてつもない金額というのはわかります。

 

どうしたらいつの間にか資産が1億円になっているのでしょうか。

NRIは一般生活者で1億円という大金を貯めた人たちが増えていて、そういう人たちを「いつの間にか富裕層」と定義したと言っています。

どういうことなのでしょう。

NRIの資料には「いつの間にか富裕層」についてあまり詳しいことが書かれておらず、書かれていることを箇条書きにすると次の3つになります。

・年齢は40代後半から50代

・職業としては主に一般の会社員

・従業員持株会や確定拠出年金、NISA枠を活用

これだけだと漠然としてよくわかりませんが、持株会とか確定拠出年金とあるので非正規ではない年配の同じ会社に長く務めている正社員なのだろうと思われます。

 

そういう堅実な働き方を長く続けることで、本当に1億円もの大金を貯めることができるのでしょうか。

投資前提で試算してみます。

年齢は40代後半から50代とあるので、大卒後の22歳から52歳まで30年間、オルカンに毎月10万円を積立投資したと仮定します。

今回は簡易的に利率は6.3%固定とします。

6.3%は以下のサイトで「世界株指数ACWI」の1996年9月の指数194と2026年9月の指数1134から30年間の平均利率6.3%を計算しました。

stock-marketdata.com

その結果が以下のグラフです。

積立投資 1億円

積立開始から30年後には1億円を超える結果になりました。

それにしても30年間の複利効果はすごいですね。

3,600万円の入金で約7千万円の利息がついて合計で1億円を超えることになります。

 

この結果からはわかるのは、「いつの間にか富裕層」の「いつの間にか」は寝てる間にとか仕事をしている間にとか投資とは別のことをしている間に資産額が1億円を超えたという意味と考えるのが自然ということです。

株価は日々、上がり下がりするので、1億円付近の運用資産を持っている場合は24時間365日資産額をチェックし続けているのでなければ、「いつの間にか」1億円を超えることになるでしょう。

逆にいつの間にか1億円以下に減って富裕層から準富裕層になる方もいるでしょう。

ただ、一般的な世帯(2人以上の世帯)の貯金額700万円(中央値)がいつの間にか1億円を超えていたという状況は考えにくいです。

そうやってNRIの定義を見てから考えると「いつの間にか富裕層」のイメージは次のような感じになると思います。

 

見直した「いつの間にか富裕層」の状況

夫:「さて今日も資産状況を確認してみようかな。昨夜は米国株がかなり値上がりしていたみたいだから投資信託も増えてるはず。・・・。お、とうとう1億円を超えたか。自動積立を始めて30年になるが、ようやく大台に載ったな。」

妻:「◯◯さん、スマホ見ながらニコニコして何かいいことでもあったの?」

夫:「うん、積立投資の金額がようやく1億円を超えたんだよ。」

妻:「あら、思ったより早かったわね。確か去年は一億円はまだ数年はかかりそうって言ってたのに。」

夫:「ああ、そうなんだよ。最近は株価が好調で順調に投資資産が増えていたみたいなんだ。こういうのをいつに間にか富裕層というらしい。」

妻:「そうなのね。とにかく老後の生活は余裕がありそうでよかったわ。」

 

要は数年以内に資産1億円になると考えている資産1億円未満の人たちが急な株価上昇で前倒しで資産1億円になっているのではないか、ということです。

貯金700万円の世帯ではなく、資産9,900万円の世帯が1億円を超えてNRIの定義する富裕層の仲間入りをしているだけだと思うわけです。

 

節約で一億円を貯めるということ

実際に普通の会社員で1億円を貯められた倹者の流儀チャンネルのくらまさんがSNSで話題になっています。


www.youtube.com

 

ホテルマンとして働きYouTubeで副業しながら節約で無駄な支出を削って若干33歳で資産1億円となったそうです。

特にその節約が徹底していて、上記の動画では食器棚がなく食器を床置きしてるとか、主食がイモ(戦時中みたいですね)とか、貰い物の割り箸やビニール袋を「資産」として管理しているとか、なかなかショッキングな状況が説明されていました。

動画を見ていて他人事ながら食生活の話を聞いて健康に悪影響はないんだろうかと、心配になってしまいました。

金融資産は1億円あるのでくらまさんもNRIの定義による富裕層に含まれますが、こういう生活実態を見ると、たとえ資産が人並み以上だとしても生活状況は人それぞれなのだと改めて認識することができました。

 

 

最後に

今回はNRIの定義する富裕層(金融資産1億円以上)について思ったことを書いてみました。

おそらく野村證券系の起業であるNRIとしては日本国内の株式投資の活性化や話題作りのために定期的に富裕層ピラミッドを発表したり「いつの間にか富裕層」というキャッチーなキーワードを作ったりしているのでしょう。

最近は投資利益の非課税制度が強化された新NISAが2024年に開始されたりして投資する人も増えているので、実際に投資で資産を増やして労働収入だけでは難しかった資産1億円以上に増やしている人も増えているのだろうと思います。

同時にNISA貧乏という言葉が広まるくらいに、過度な節約と極端な投資で実生活が貧困化する人も増えているのだろうと思います。

こういうお金に関する問題は正解がないので難しいですね。

 

 

 

自分が嫌なヤツなのを思い出した話

2023年に50歳で会社を退職したらくすけです。

ふと子どもの頃のことを思い出して、改めて自分が嫌なヤツだと思ったのでそのことを書いてみます。

 

57歳で自由を求めて退職した会社員

この前、以下のYouTubeを観ていて、ちょっとアレっと思う箇所がありました。


www.youtube.com

6:45付近

あれほど自由を夢見ていたのに白紙の一日を渡された途端、逆に固まってしまったんです

これは57歳で会社を退職した男性が、退職した途端の感想です。

FIRE関連のブログや動画を見ればよく聞く話でもあります。

この「自由」という言葉についてちょうど観ていたアニメのやり取りでもあったのを思い出しました。

 

天幕のジャードゥーガル 2話(アニメ)

アニース「ねえ、覚えてる?前に話した奴隷は自分じゃ何も決められないって話」

シタラ「はい」

アニース「あれは言い換えるとね、奴隷にはその分責任もないということなの。たとえば奴隷がなにか罪を犯したとしても受ける罰は自由人の半分。私たちは責任を追うことを認められていない、と言うべきかしらね」

 

主人公で奴隷のシタラと同じ奴隷で年上のアニースとの会話です。

彼女たちは奴隷で主人である自由人の所有物なので、彼女たちに自由はなく所有者が彼女たちの生き方を決めることになります。

では自由人と呼ばれる人たちに自由はあるのでしょうか。

自由人たちにもそれぞれの立場があり、できること、できないこと、しなければならないこと、いろいろあるはずです。

 

 

 

 

とある超大国の大統領

もうひとつの例として、現代のとある超大国の大統領を考えてみます。

彼の国は経済大国で強大な軍事力を持つのでそのトップである大統領はとてつもない権力をもっています。

そして彼はその権力を一見、好き放題に行使しているように見えます。

では彼は自由なのでしょうか。

たとえば、彼の国は戦時中で、戦況は思い描いたとおりにはなっていないとして、経済状況も戦争によるガソリン価格の高騰や長期国債の金利の高止まりで芳しくなく、近々実施予定の選挙が危ぶまれている、とします。

ある意味、この地球でもっとも権力を持っているように見える彼にも、できること、できないことがありそうです。

もし彼に「あなたは自由ですか?」と質問したなら、「全く自由じゃない」と苦虫を噛み潰したような顔で答えそうな気がします。

 

辞書(大辞林)に「自由」は以下と書かれています。

他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意志や本性に従っている・こと(さま)

複数の意味があるので代表的なものを抜粋しました。

 

現代の会社員は強制・拘束・支配を受けていないので自由に生きているはずなのに、「自由」を求めて会社を退職するのは、なぜなのでしょう。

それは自分の意志に反して働かなければならないと感じているからだと思います。

逆説的に言うなら、自分の意志が反映される仕事なら、働いていてもその人は「自由」と感じているのかもしれません。

そういえば、FIREに否定的な人は、社会的な成功者(著名人や経営者や芸能人など)が多い気がします。

 

そして、天幕のジャードゥーガルの奴隷のシタラとアニースは、奴隷で自由はありませんでしたが主人たちからかわいがられてモンゴルに侵略されるまで幸せそうに暮らしていました。

 

まとめると、自分の生き方を自分で決められない奴隷に自由はありませんが、現代人もさまざまなしがらみ(会社員なら会社、とある大統領なら国際関係や経済問題など)に縛られて本当の自由はないとも言えると思います。

別の見方をすれば、しがらみを含めて今の自分の状況を受け入れて自分の目標や意志を実現させることができる人は、制約が制約ではなくなるので、自由な人と呼べる気がします。

 

 

こういうことをウダウダ考えていた時に、僕が中学生か高校生だった頃に母とした会話を思い出しました。

もう詳細は覚えていませんが、母が何か「やっちゃった(失敗した)」ということを言った時に、僕は「お母さんが望んでやったことでしょ」と言ったんです。

当然、母は「そんなことあるわけないでしょ!」と言ったんですが、僕は「お母さんが自分でやったことなんだから、お母さんが望んだ結果なんだよ」と言って、母から”何いってんだコイツ”みたいな目で見られました。

 

この時に僕が考えていたのは、人には無限の可能性があるということです。

人が何か行動する場合、無意識であったとしても無限の選択肢(タイミング、やり方、実際の行動など)の中から自分の意志で選び取って、失敗する可能性を感じつつ、どうすれば成功するかを考えながら、行動しています。

だから、結果が失敗だったのなら自分で失敗を選んだことになるはずだ、ということでした。

好き好んで失敗したがる人なんているはずがないのに、本当に僕は嫌なヤツだなと改めて思ったのです。

 

なぜ「自由」と「無限の可能性」がつながるかと言うと、もし無限の可能性の中から自分の望む未来を選べる人間がいるとすれば、その人こそ本当に自由な人だと思ったからです。

仮に奴隷の立場の人も自由人になれる可能性はゼロではないはずで、そのゼロではない可能性を自由に選べるなら、それ以外のゼロでは可能性も選べるのだから、何でもどんなことでもできそうです。

そんな超人みたいな人は現実にはいるはずがないのですが。

 

ラプラスの悪魔という思想というか考え方があります。

以下はWikipediaからの抜粋です。

ラプラスの悪魔 - Wikipedia

ラプラスの悪魔(ラプラスのあくま、英: Laplace's demon)とは、主に近世・近代の物理学分野で、因果律に基づいて未来の決定性を論じる時に仮想された超越的存在の概念。「ある時点において作用している全ての力学的・物理的な状態を完全に把握・解析する能力を持つがゆえに、未来を含む宇宙の全運動までも確定的に知りえる[1]」という超人間的知性のこと。フランスの数学者、ピエール=シモン・ラプラスによって提唱された。ラプラスの魔物あるいはラプラスの魔とも呼ばれる。

 

ニュートン力学(古典物理学)に基づいて考えれば、現在の状況を100%把握できれば未来も100%知ることができる、ということだと思います。

 

よく覚えていないのですが、当時、雑誌ニュートンか何かでこういうことを聞いて、上記のようなことを母に言ったのかもしれません。

 

そして、この「嫌なヤツ」は今も僕の中にいて、何か上手くできたときには「運が良かっただけだ」と言い、何か失敗したときには「お前が望んで失敗したんだ」と嫌なことを言ってきます。

たぶん、こいつは死ぬまで僕の中にいるんだと思います。

なぜなら、こいつは僕自身なのだから。

 

 

 

 

スポーツの話題で気まずい思いをしたことはありませんか? 〜 認知欲求(Need for Cognition, NFC) 〜

2023年3月に50歳で会社を退職したらくすけです。

今回は、あるYouTube動画を見て自分の特性がわかったと思ったのでそのことについて書いてみます。


スポーツに興味がなかった子供時代

僕は子供の頃からスポーツに興味がありませんでした。

基本的に体を動かすことが好きではなかったですし、スポーツ中継を見ることも好きではありませんでした。

はっきり言って嫌いでした。

僕が子供の頃の人気のスポーツと言えば野球でしたが、僕はセ・リーグとパ・リーグが何なのかもわかりませんでしたし、正直今でもよくわかっていません。

だから、昔から周りがスポーツの話や好きな選手の話で盛り上がっている時にまったく話についていけませんでした。

さらに言うと、テレビのニュース番組でスポーツのコーナーがあることがおかしいとさえ思っていました。
事件や事故、政治の話題は間接的にせよ私たちの暮らしに関係することですが、スポーツは趣味の話なのだから毎日、固定の枠を設けて報道する内容ではないと考えていました。

 

気になったYouTube動画

そんなある日、以下のYouTubeを見て上記のモヤモヤがかなり解消されました。

その動画によると、多くの人はスポーツを通じて一体感や共感を得ているので、その試合の内容や結果は「他人事」ではないという話でした。

自分にはまったく想像できない感覚ですが、そう言われてみると、テレビなどで見る野球やサッカーの観客席の状況を思い浮かべると試合状況により一喜一憂する人々の顔が思い出されます。

海外は違うのかもしれませんが、日本国内では試合結果の賭け事は禁止されているので、本当に自分の損得とは関係のない試合という出来事に心から喜んだりショックを受けたりしている人たちが大勢いるのです。

大勢どころか大多数らしく、自分みたいに何とも思わない人間は少数派のようなのです。

この説明は50年以上生きてきた自分の経験に照らし合わせてみるとよく合致します。

本当に嫌になるほど一致します。

テレビの趣味に関してなら、子どもの頃から自分だけ家族とは合わず、どこかの誰かから古いテレビを貰ってからは自分だけ別の部屋でNHKスペシャルや教育テレビを見ることがよくありました。

 

 

www.youtube.com

【心理学】スポーツに興味がない人の脳にだけ存在する"特別な思考回路"の秘密

動画 20:28以降からの抜粋

あなたがスポーツの熱狂に同調できない理由は大きく3つありました。

1つ目は脳の報酬回路が違うから。あなたは外の分かりやすい刺激ではなく自分の内側で理解することに快感を感じる、地熱発電所のような脳を持っています。

2つ目は同調圧力に負けない独立した脳を持っているから。周囲との温度差によって脳が「物理的な痛み」を感じていながらもそれでもなお自分の知的な整合性を守り抜く強さがあります。

3つ目は物事をハイレベルプロセッシング(高次処理)」しているから。表面的な勝敗ではなくその裏にある構造や人間ドラマという深い回層にのみ反応する特性を持っています。

みんなと一緒に盛り上がれない自分をもう2度と攻めないでください。
興味がないということは心が冷たいということではありません。
別のところにもっと深くエネルギーを注いでいるという明確な証拠なのです。
次にまた日本中が何かのスポーツで熱狂の渦に包まれた時、職場で歓声が上がり、テレビから実況アナウンサーの叫び声が聞こえてきた時、あなたはみんなは今外部のエネルギーで楽しくソーラー発電をしているんだな。でも自分は自分の内側にある発電所でゆっくりと思考を深めようと静かに本を開き、あなた自身の知識の海へと没頭してください。
他人の祭りに参加しない自由。周囲の熱狂に流されず自分の静かな時間を守り抜く知性。それを持っていること自体があなたの人生における何よりの価値であり、強力な武器なのですから。

この動画では、スポーツの話題に興味を持てず周りに馴染めず辛いと感じている人に寄り添い、自分の興味・関心に執着することを「人生の価値」や「強力な武器」だと説明しています。

動画の内容に興味を持った僕は、この説明の根拠が気になりました。

占いやスピリチュアルのでなければ、必ず統計情報や研究結果があるはずです。

幸いなことに動画の参考情報にいくつかの英語論文へのリンクがあったので、てっきりそれがこの説明の裏付けかと思ったのですが、上記まとめにある3つの項目の詳細説明はなく、「NFC(Need for Cognithion)」という手がかりだけでした。

 

認知欲求(Need for Cognition, NFC)

認知欲求(NFC)は心理学の用語で「努力を要する認知活動に従事したり、それを楽しむ内発的な傾向」と定義されています。
※認知欲求尺度に関す る基礎的研究 より

よく参照されている論文は心理学者ジョン・カシオポ(John Cacioppo)とリチャード・ペティ(Richard Petty)による下記の論文(英語)です。

The Need for Cognition (1982)

 

日本語の情報が少なく主に英語の資料を調べたのですが、Wikipediaの説明が分かりやすかったのでこちらから引用します。

Need for cognition - Wikipedia

認知欲求は、「関連する状況を意味のある統合的な方法で構造化する必要性」や「経験世界を理解し、合理的にする必要性」などと様々に定義されてきた。[ 3 ]認知欲求が高いほど、議論、アイデアの評価、問題解決に対する評価が高まる。認知欲求が高い人は、 高度な精緻化に傾く傾向があるかもしれない。認知欲求が低い人は、その逆の傾向を示し、多くの場合、低精緻化を通して、よりヒューリスティックに情報を処理するかもしれない。

※Wikipedia(英語版)の機械翻訳から抜粋

 

機械翻訳のせいもあるでしょうし論文的な表現のせいで、とても意味が分かりづらいですが自分なりに意訳すると、認知欲求は物事をロジカルに考える必要性の感度のことで、認知欲求が高い人ほどアイデアや課題を解決しようとしたり整理しようとするし、認知欲求が低い人は物事をあいまいに捉えて直感的に経験則に照らして受け止めようとする、ということかと思います。

 

いろいろ調べてみたのですが、結局、認知欲求が高い人と協調性との関係はわかりませんでした。

つまり、動画の説明にあった

スポーツに熱狂できない人 = 独自の世界観を持ち深い思索行う人(認知欲求が高い人)

という説明の裏付けはとれませんでした。

この部分は動画作成者の方の推測ではないかと思うのですが、この動画に限らず似たような説明をしている動画は他にもいくつかあり、また、自分の経験からも100%ではないでしょうがそういう傾向がある気がします。

たとえば、あまり他人と関わろうとはせずに趣味に没頭する人は見聞きしたことあるのではないでしょうか。

もちろん、人と関わることが好きで、同時に物事を整理したり考えたりすることも好きだという人もいるでしょう。

 

高い認知欲求のデメリット

次に自分の経験も踏まえて認知欲求について考えてみます。

 

・能力は高くないのにやめられない

物事を考えるのが好きな人と聞くと、頭の良い人だと思いがちです。

でも残酷な話ですが、好きなことと能力とは関係ないのです。

いろんなことに興味を持ってもそれを理解できるかは別の話です。

見方を変えると次から次への興味の対象が変わるので落ち着きのない人でもあります。

理想は、高い認知欲求・高い理解力・高い記憶力を持ち合わせていることなのでしょうが、それは認知欲求に限らず誰にでも言えることでしょう。

だから、高い認知欲求を持ちながら他の能力が人並か平均より低い人は、アレコレどうでもいいことにすぐ興味を持つのに、飽きっぽく、落ち着きのない人というふうに見えると思います。

たとえるなら、絵が好きなのに絵が下手な人、歌うことが好きなのに音痴な人、スポーツが好きなのに運動音痴な人になるでしょう。

損得で行動しているわけではなく、自然な欲求で行動しているので、周りから向いてないからやめたほうがいいと言われたり、自分でも下手だと思っても行動を変えられないのです。

 

・言われたことをやらない

認知能力が高いということは、いろいろな物事を認識するのでその影響を受けやすくなります。

だから仕事で指示された作業をしている最中に何か影響を受け、その新しい何かの方が気になると指示された作業より優先させてしまう場合があります。

これは第三者からは「言われたことをやらずに遊んでいる」というふうに見えることがあります。

 

・人の話を聞かない

何か説明を聞いている時に話の内容で気になることがあると、そこに気を取られて相手の言っていることがわからなくなってしまうことがあります。

動画なら途中で止めて、気になった箇所やわからない言葉を調べてから、また続きを見るということができるのですが、リアルタイムの説明では「ポーズ」みたいなことはできません。

結局、後から「ちゃんと説明を聞いてなかったのか!」と怒られることになります。

 

 

高い認知欲求のメリット

この特性の良いこともあります。

 

・投資に向いている

「運用成績が良かったのは亡くなっている人」という説があります。

この説がウソかホントかはわかりませんが、一時的な株価の下落で含み損を抱えたまま売却して投資で失敗する人は多そうです。

つまり日々の株価に一喜一憂せずに株を保有し続けるのが、運用成績を良くするコツと言えるのですが、資産が下がり続けて70%とか50%に下がったりしたらヤバいと思うのが普通でしょう。

認知欲求のためかどうかはわかりませんが、自分の場合は「表面的な株価」はあまり気にならず、株価が下がっても「なぜ」、「何が原因で」が気になりました。
また、早期退職する前はフルタイムで働いていて給料で生活費を賄えていたので、最悪、投資資金(すべて個別株投資)がすべてなくなっても生きてはいけると考えていました。

つまり、株価の変動に影響されずに毎日を過ごすことができました。

 

・見栄をはらずにすむ

となりの億万長者という本にも書かれていましたが、資金を貯めたり維持することの主な天敵のひとつが見栄だそうです。

 

 

洋服や車や旅行などに使ったり、男性なら車や時計、女性ならアクセサリーやバッグや整形などでしょうか。

今どきなら推し活も見栄で高額化しているという話を聞きます。

僕は基本的に物欲がなく、必要なものを買い必要ないもの買わないスタンスです。

衣服は寒さを凌ぐためのもの、靴は外を歩くためのもの、移動は電車を使うので高額なものは必要ありません。

 

・依存や執着がない

ギャンブルやお酒、そして異性に貢いで人生を狂わす話は昔からあります。

パチンコや競馬はやったことがありますが、どれも一回やったら満足しました。

基本的にギャンブルをやって楽しいとか面白いと思ったことはありません。

もし絶対に儲かるギャンブルがあるなら、やってみたいですが、それはもうギャンブルではなくイカサマかビジネスでしょう。

銀行とか証券会社の商売は面白そうですが、自分の能力ではやっていけなさそうです。

 

・孤独に強い

早期退職した方の動画でたまに聞くのは、孤独に関する話です。
以下の動画の方も会社の人間関係がなくなり想定していなかった孤独に直面した状況を独白されています。


www.youtube.com

56歳で退職して最初に来たのは、解放感ではありませんでした。 「今日、行く場所がない」という恐怖でした。

 

僕の場合、50歳で退職しましたが、平日の昼間からブラブラ歩き回って「誰かに怒られたりしないんだっけ?」と意味不明な心配をするくらいで特に孤独感は感じませんでした。

もともと会社の人達と飲みに行くのも人の出入りがある歓送迎会と忘年会ぐらいに付き合うくらいだったので、なくなって寂しいというものではありませんでした。

それより仕事の悩みやストレスがなくなった開放感の方がずっとずっと大きかったです。

 

時間があっても「やることがない」という問題は、まったく問題になりませんでした。

退職の数年前、僕は地方の駅で列車を待っている時にふと自分にとっての幸せってなんだろうと考えたことがありました。

その時にアレコレ考えた結果、僕は「今しているように」どうでもいいことをアレコレ考えているのが幸せなんだ、ということでした。

いつでもどこでも特に何も道具は必要なく、ただ自分さえいればそれでいい。

後のことはすべてどうでもいい。

その時、自分の幸せの条件に気づきました。

だから退職して時間ができることは渡りに船だと、新しいことをいろいろできると楽しみで仕方がありませんでした。

 

さらに言うと、住所が首都圏にあるので、博物館や科学館や美術館や郷土資料館などいくらでも行ったみたいところがありました。

lucky-slc.hatenablog.com

 

正直、退職してからの行動計画や具体的な目標は何も決めていませんでしたが、どうにでもなると考えていたので退職しました。

どうせ時間が経てば定年退職になるので、体も気持ちも元気なうちに早めに退職する方が人生の満足度は高いという判断です。

 

 

まとめ

僕は子供の頃から家族の中でも学校でも浮いた感覚がありました。、

いつもどこか居心地の悪さがあって、家にいても自分の居場所ではないという感じがしていました。

今回、「認知欲求」という概念を知ることにより、この概念がこれまで感じていた居心地の悪さの手がかりになりそうな予感がしています。

幸い考える時間はたくさんあるので、これからも引き続き調べていこうと思います。

 

 

 

失敗があっても気にせず、一度きりの人生なんだからもっと自由に生きてみよう!

2023年3月に50歳で会社を退職したらくすけです。

YouTubeのアベプラで「早期退職」の話があったので観てみました。

 

アベプラ:早期退職

【早期退職】50代で辞めても大丈夫?面接8連敗&5年ほぼ無職も…「孤独は想像以上」仕事・人間関係はどうなる?経験者3人に聞く|アベプラ


www.youtube.com

 

ここで紹介されていた「エーショー西郷さん」(55)がスタジオや動画のコメント欄で辛辣に言われていたのですが、僕は違う感想だったのでそれを書いてみようと思います。

 

エーショー西郷さんの経緯
(動画6:43〜7:45あたりの資料を編集・まとめ)


退職時

2024年(当時53歳) 30年以上務めた公務員を退職

早期退職の優遇 「65歳定年まで務めた場合と同程度」の退職金 → 割り増し分含めて約2000万円に

早期退職した理由

・仕事上での悩み・葛藤

・「本当にやりたいことを模索したい」という思い

 

退職後

貯蓄 退職金と合わせて約3000万円(住宅ローン残高約1300万円)

    →退職翌日「職がないという恐怖感」に襲われる

金策

・隙間バイトに登録

・動画編集スクールに55万円支払う

 →動画で稼げたのは約2000円

 再就職

・任期付き地方公務員の面接で8連敗

 →どうにか採用されるも数か月で退職

・住宅ローンもあったがしばらくは生活可能と判断

 

現在 清掃アルバイト

 

今後 早期退職した職場で来月から再雇用

 

動画内の西郷さんの説明でも、「正直言って辞めてなんとなるだろうぐらいの気持ちでいたんですよ。で、ただやっぱり現実、収入がまったくないとなるとやっぱり不安になっちゃうんですね」「スキルがないのに辞めるということが無謀だったということがよくわかりました」と退職前から分かっていた話をされたので、繰り返しになりますが、スタジオ・動画コメント欄で辛辣な指摘がたくさんありました。

 

僕が早期退職した話

僕は50歳で早期退職して1年くらい無職だったのですが、その時に感じたのは、「小学校に入学してから退職するまでの40年間以上もの長い間、余計なことを考えなくてもいい自由な時間はなかった」ということでした。

学生時代は会社に入社した後には考えられない長期休暇がありましたがお金と自由がなかったので、たとえば海外旅行に行くといったことはできませんでした。

さらにイジメや学校の成績や受験など不安や悩みが絶えませんでした。

会社に就職した後はある程度自由になるお金はありましたが、今度は休みがありません。

運良く祝日で連休になって嬉しいという状況で、GWや夏季休暇も長くても10日間程度でした。

そしてやっぱり休みと言っても仕事のことは頭から離れません。

それを当たり前のことだ、みんなもそうやって生活しているのだと疑問にすら感じないようにして生きてきました。

 

仕事を辞めたことで40年間以上、考えることすら避けていた負担や悩みから解放されました。

仕事を辞めて特に大きく感じたことは「〇〇しなければならない」というこれまで受験や仕事で抱えていた義務感から解放されたことでした。

長い間、朝起きて学校や仕事へ行き、やりたくないけどやらなければならないことをして、夜遅くに帰ってきて寝て、また起きるという毎日を繰り返してきました。

これからもそんな毎日が永遠に続くとばかり思っていました。

もしその繰り返しが続くレールから外れたら生きていけないと信じていました。

そしてある日、幸運にも機会に恵まれてその「永遠のレール」から脱出することができました。

 

西郷さんの早期退職について思ったこと

西郷さんの件に話を戻すと、西郷さんはご自分でもおっしゃっていたとおり、結果的には思っていたような早期退職にならなかったのだと思います。

でも、自分の意志で自分の人生をコントロールするという経験ができたことは無駄ではなかったのではないでしょうか。
動画では、お顔は拝見できませんでしたが、話している印象からとても誠実で真面目そうな感じを受けました。

僕の推測になりますが、おそらくこれまでは周囲の期待に応えるために一生懸命に務められてこられたのだと思います。

そして50歳も過ぎたころに、このまま同じ毎日を送り歳を重ねて一生を終えてしまっていいのだろうか、という疑問が湧いてきたのではないでしょうか。

それが「本当にやりたいことを模索したい」という一文だったのでしょう。

人によってはそんなことは仕事を続けながらでもできるはず、と思うかもしれません。

理屈ではそうかも知れませんし、公務員ですし家で過ごす時間もあったでしょう。

でも長年仕事を続けていると、物理的な時間があったとしても考えるだけの心の余裕を持てなくなってしまうのだと、僕自身の経験を踏まえると思えてしまいます。

もちろん個人差はあるでしょう。

同じ番組内でも早期退職して起業されている方もいました。

おそらくですが、西郷さんの場合は新しいことを模索したり始めたりするには、一度、公務員という既存のレールから外れる必要があったに違いありません。

それはとても勇気のいることだったので、あまり雑多な事を考える余裕がなかったのでしょう。

そうやって自分で決めた道を歩みはじめることができたのだと思います。

 

高村光太郎の「道程」という有名な詩があります。

高校の教科書に掲載されていたので、僕はそのときに初めて知りました。

特に冒頭の2〜4行目は有名だと思います。

高村光太郎 道程

どこかに通じてる大道を僕は歩いてゐるのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出來る
道は僕のふみしだいて來た足あとだ

退職後になにかのキッカケでこの詩のことが気になり、上記の青空文庫を見てみて自分の記憶の10倍くらいの超大作だったのでちょっと面食らいました。

内容も宗教めいた雰囲気もあります。

たぶん高校の教科書は冒頭部分の抜粋だったのでしょう。

それを当時の僕は全文だと思い込んでいたようです。

 

僕は現代の多くの人は知らない誰かが敷いた社会のレールの上を歩くことに疑問を感じなくなっている気がします。

たぶんそのレールの上は安全であり、そこから外れるということは失敗の可能性が跳ね上がるうえに何か酷い目に合ったとしても自己責任というレッテルを貼られて誰の助けも得られないかもしれません。

でももし自分の心が「もうレールの上は歩けない」と叫ぶのであれば、できるだけ準備をしたうえでレールから外れてみるのもアリかもしれません。

もしかしたら若い頃の方がレールをから外れた時のダメージが少ないのかもしれませんし、そもそもそんなレールは幻想に過ぎないと知るキッカケになるかもしれません。

 

西郷さんはなぜこの番組への出演を了承したのでしょう。

今の状況を伝えれば多くの人から批判的なコメントが返ってくることはわかっていたはずです。

出演理由がわかるような話はなかったので推測になりますが、自分が考えて決めたことが思っていたような結果にならなかった時に、それを番組で紹介してもらえば番組を見た誰かが同じ失敗をするのを防ぐことができると考えたからではないでしょうか。

1人でも2人でも無謀な早期退職を踏みとどまる、あるいは、より入念に準備をして早期退職に備えることにつながるかもしれません。

自分が批判されることよりも見ず知らずの誰かが失敗しないことを優先させたからではないでしょうか。

 

 

 

「骨太の方針2026」の話

らくすけです。

日本政府の2040年までの経済方針が閣議決定されたので、ざっと読んでみました。

また、アベマの動画を観て、気になった方のコメントを抜き出してみました。

 

骨太の方針2026

www5.cao.go.jp

3つのPDFが置いてあり、1つ目が本文、2つ目が概要、3つ目がPR資料となっています。

1つ目の本文は40ページ以上あり専門用語が満載で読んでたら眠くりました、2つ目パワポ1枚ですが小さい字がギッシリで読む気になりません、3つ目は17ページのパワポ

 

 

【骨太の方針】高市総理の肝入り「責任ある積極財政元年」370兆円ドカンと投資?17分野は多すぎ説?|アベプラ


www.youtube.com

 

夏野さん(16:31)

ファンダメンタルとして、基本的に日本の人口が減ってくということの中で、たとえば3%の成長をする、っていうことは、これはもう本当ににですね生産性を上げるということににしかならないんですけど、あんまりこの生産性の話になってない感じが、僕はすごく思います。で、なんでかって言うと、やっぱり生産性の話っていうのはやっぱりいまあるものが効率良くなる、言ってみれば完全に規制緩和の話なんですど、規制緩和がまったく進んでないのが日本で、規制緩和の話が一切出てきてないのが僕はすごく怖い。確かにこれから伸びる可能性のある分野に一生懸命投資を促進するんだ、これはすごいわかるんですけど、一方で生産性を上げるというのは今ある産業をいかにもっと活かすかということが大事でそのために僕は規制緩和しかないんじゃないかな。

 

柿埜真吾(かきのしんご)さん(25:47)

社会主義ではないというふうにみなさんおっしゃるんですけど、産業政策というのはそれに近い発想だというのはちょっと否定できない。

産業政策というのは、つまり国が発展できる産業を選び出せるとう発想なんですけど、それが上手くいく、たとえばスマホゲームが上手くいくとする、分かっていたら民間がお金を出すはずです。

で、それが国が何かしないとできないというのはそこに何か市場の失敗(心配?)というのがあるっていうのでなければ少なくともそれは正当化できないはず。

 

ひろゆきさん(28:15)

まあ、なんかこういうところに投資したらいいよねっていうふわっとした総論でみんな言いたい放題で勝手にやればいいと思うんですよ。

で、じゃあ生産性を上げなきゃいけない問題ってどうやって効率を良くするかっていう問題だと思うんだけど、日本のこういう政策って自民党を支持している業界団体の分野に関しては一切規制を解除しないっていう拘束があるじゃないですか。

たとえばウーバーといのは先進国で利用できないのは日本くらいだよね、・・・というのがあるのでそこに反することはできません。

たとえば、フランスだと薬局で注射が打てるんですよ。注射打つくらいなら薬剤師さんが打ってもいいよね、っていう法律があるんですけど、日本医師会が強いので注射を打つなら必ず病院に行かなければいけませんっていうので非効率にしているんですよね。

で、あと、日本酒って海外で評価が上がって高く売れるものも出てきているんですけど、日本酒の免許を取るのは不可能なんですよね、日本人。

っていうくらい規制が多いんですよ。

でも、この規制を解除しようというのはやらないんですよ。

なぜなら自民党はそこの族議員の権力に逆らえないというのがあるので。

結果として族議員のいない分野にのみやって族議員のいる分野はそのまんまっていう。

まあ、難しいよね、と思います。

 

自分が思ったこと

日本の戦後の高度成長期からバブル崩壊前までは、道路(一般道や高速道路)や鉄道や電気や電話やガスや水道などの生活インフラが不十分だったので、そういう生活インフラに税金と人と時間を投じて整備することは国民のニーズも強かったでしょうし、経済成長や様々な効率化(モノを短時間で低コストで運べるなど)につながったのでしょう。

でも、1980年代くらいから税金と利便性・サービスの質のバランスが見合わなくなったんだと思います。

巨額の税金を投入しているのに不満が絶えない、もしかしたら巨額の税金を投入しているからサービスの質が低かったのかもしれませんが、国営企業は相次いで民営化されました。

電話:1985年に日本電信電話公社(電電公社)からNTTへ

鉄道:1987年に国鉄からJRへ

 

そして、1990年代のバブル崩壊を迎えたころには生活インフラは整い、日本は住みやすい便利で成熟した国になったのでしょう。

それでは、これまで政府がインフラに投じていたお金は、これからはどこに使えばいいのでしょうか?

「骨太の方針2026」では17の成長分野に投資すると書かれています。

では、その投資は成功するのでしょうか?

 

ある投資先が成功するか失敗するかは誰にもわかりません。

そういう意味では素人でもプロでも、政府も同じだと思っています。

なぜなら誰にも未来は分からないからです。

さらに政府の投資には失敗事例がたくさんあります。

最近は世界でAI開発が流行していますが、日本政府は今から40年以上前に第五世代コンピュータ計画という国家プロジェクトを実施しました。

第五世代コンピュータ - Wikipedia

FGCS1981において通産省側は数々の意欲的な目標を掲げており、それらはいずれも人間の頭脳を超えるための人工知能の開発に集約されるものであった。例を挙げると、医学診断や金融判断や高度な機械制御に役立てられるエキスパートシステム、機械翻訳や言語解析を支える自然言語処理などである。

要は現在、生成AIと呼ばれているものを40年以上前に540億円以上の税金を投入して実現しようとしたのです。

この当時の540億円は現在の金額で換算すればもっと大きな金額になるはずです。

それだけのお金と時間と人を投入して具体的な成果はよくわかりません。

今の生成AIに貢献していたり、日本政府が関わっている話や、日本企業の優位につながってるような話は聞いたことがありません。

もちろん投資なので当たることもあれば外れることもあります。

でもそんなリスクのある投資なら、もっと他にリスクが低く優先順位が高いものがいくらでもあったはずだと思います。

 

クールジャパン事業も失敗した投資のひとつになるかと思います。

気になるのは失敗したことよりも以下の記事を読むと成功する意図があったのかさえ疑問に感じることです。

そもそも成功させる意図はなく、投資先の企業が儲かればいいと考えていたのではと邪推したくなります。

note.com

news.yahoo.co.jp

 

今年の春頃にナフサ不足が話題になっていた頃、政府は「目詰まり解消」と繰り返していました。

特定の企業がナフサを買い溜めているから末端の企業にナフサが行き渡っていないという説明です。

僕の個人的な感想ではありますが、日本経済も至る所でお金を溜め込んでいる企業があるから、どんなに政府が経済政策として税金を投入しても末端に行き届かないのではと思います。

政府はその目詰まりを起こしている企業を知っていながら自民党の支持団体だったり支持企業だったりしているので目詰まりを解消できないのではないでしょうか。

結局はひろゆきさんと同じ感想になりました。

 

 

 

 

「こじれる人」の作り方

2023年3月に50歳で会社を退職したらくすけです。

今回も前回と重なりますが「ミッドライフ・クライシス(中年の危機)」について書いてみたいと思います。

 

こじれる人

身近な人でも他人でも、いつもイライラしている年配または高齢の人を見かけたことがあると思います。

僕の場合は、ブツブツ独り言を言いながら歩いている男性や、すれ違った学生と肩がぶつかり怒鳴っている老人や、病院で奥さんに威張ってばかりいる老人などを見たことがあります。

たまたまなのかもしれませんが、僕が見たのは男性ばかりでした。

 

以下のYouTubeによると、こういう「こじれてしまう人」は若い時からこじれているのではなく「孤独」が悪化して「こじれていく」という構造的な問題があるという説明で、自分としてはとても納得できる内容でした。

動画の内容を一部引用しながら僕が理解したり思ったことを書いてみます。


www.youtube.com

 

「こじれる人」というのは次の段階を踏んで、だんだんとこじれていくそうです。

孤独 → 虚無感 → 怒り

 

それぞれ順番に説明します。

 

孤独

ここでいう孤独は「心の柔らかい部分」を分かってくれる人がいない状態のことです。

「心の柔らかい部分」というのは以下の自分の心のネガティブな要素のことです。

・弱さ

・不安

・寂しさ

・情けなさ

・恐れ

・本音

だから、既婚者でも彼氏/彼女や親友がいても孤独な人はいるでしょう。

逆に、人に弱みを見せられないプライドが高い人は孤独に陥りやすいと思います。

 

虚無感

孤独な状態が何年も続くと、心が空白になっていき生きることや人生が無価値に思えてきます。

それが虚無感です。

なぜこんなに辛いのに生きていかないといけないのか、理由もわからず不安になる、生きる意味がわかない、などなど、とにかくわけもわからずとにかく辛い状態が虚無感です。

仕事や家庭に問題もなく、世間と比べて裕福な生活を送れていたとして、そういう現実とは無関係に、とにかく心が辛い。

「ミッドライフ・クライシス(中年の危機)」と呼ばれる状態はこれのことだと思います。

 

怒り

そして辛い虚無感が続くと「怒り」に変わります。

周りの人々や自分に対してとにかく攻撃的になっていきます。

・怒りになる

・他人への批判になる

・若い世代への嫉妬になる

・過去への執着になる

・加害性が自分に向く

 

僕はこの攻撃性はある種の心の防衛機能だと思っていて、危機に瀕した心が自己防衛のために起こした行動が攻撃性なのでしょう。

こうして「こじれる人」が出来上がります。

 

「こじれる人」にならないためにできること

ネットの検索やいくつかのYouTubeのコメント欄をみると「他人と関わるのが好きじゃない」、「1人で過ごすのが好き」というコメントが結構あります。

僕も集団生活は苦手だったので1人でいたいという気持ちは分かるのですが、僕の場合は50代から雑談や世間話の欲求が強くなってきたと感じるので年齢によって変わるのかもしれません。

70代でも「1人が平気」というコメントもあったので個人差もあるのでしょうが、レアケースのような気がします。

 

では、どうすればいいのかと言うとこの動画では次のようにまとめています。

①気のおけない友人やパートナーを作る

②趣味や仕事を充実させる

③新しいチャレンジを続ける

 

僕自身は孤独や虚無感に襲われたことがないので実体験として語ることはできませんが、この対策で正しい感じはします。

ただ孤独に陥りやすい人がこれを実行するのはなかなか難しいでしょう。

僕は今のところは妻がいるので、それで心のバランスを保てていますが、何かが起きて1人で暮らすことになった場合はかなりヤバい気がします。

孤独になるのが嫌ですし、周りに迷惑をかける様な人になってしまうのは怖いです。

人生なにが起こるかわかりませんから現時点でアレコレ考えても仕方ありませんので、心も身体も健康に生きられるように気をつけていこうと思います。