2023年3月に50歳で会社を退職したらくすけです。
今回は、あるYouTube動画を見て自分の特性がわかったと思ったのでそのことについて書いてみます。
スポーツに興味がなかった子供時代
僕は子供の頃からスポーツに興味がありませんでした。
基本的に体を動かすことが好きではなかったですし、スポーツ中継を見ることも好きではありませんでした。
はっきり言って嫌いでした。
僕が子供の頃の人気のスポーツと言えば野球でしたが、僕はセ・リーグとパ・リーグが何なのかもわかりませんでしたし、正直今でもよくわかっていません。
だから、昔から周りがスポーツの話や好きな選手の話で盛り上がっている時にまったく話についていけませんでした。
さらに言うと、テレビのニュース番組でスポーツのコーナーがあることがおかしいとさえ思っていました。
事件や事故、政治の話題は間接的にせよ私たちの暮らしに関係することですが、スポーツは趣味の話なのだから毎日、固定の枠を設けて報道する内容ではないと考えていました。
気になったYouTube動画
そんなある日、以下のYouTubeを見て上記のモヤモヤがかなり解消されました。
その動画によると、多くの人はスポーツを通じて一体感や共感を得ているので、その試合の内容や結果は「他人事」ではないという話でした。
自分にはまったく想像できない感覚ですが、そう言われてみると、テレビなどで見る野球やサッカーの観客席の状況を思い浮かべると試合状況により一喜一憂する人々の顔が思い出されます。
海外は違うのかもしれませんが、日本国内では試合結果の賭け事は禁止されているので、本当に自分の損得とは関係のない試合という出来事に心から喜んだりショックを受けたりしている人たちが大勢いるのです。
大勢どころか大多数らしく、自分みたいに何とも思わない人間は少数派のようなのです。
この説明は50年以上生きてきた自分の経験に照らし合わせてみるとよく合致します。
本当に嫌になるほど一致します。
テレビの趣味に関してなら、子どもの頃から自分だけ家族とは合わず、どこかの誰かから古いテレビを貰ってからは自分だけ別の部屋でNHKスペシャルや教育テレビを見ることがよくありました。
【心理学】スポーツに興味がない人の脳にだけ存在する"特別な思考回路"の秘密
動画 20:28以降からの抜粋
あなたがスポーツの熱狂に同調できない理由は大きく3つありました。
1つ目は脳の報酬回路が違うから。あなたは外の分かりやすい刺激ではなく自分の内側で理解することに快感を感じる、地熱発電所のような脳を持っています。
2つ目は同調圧力に負けない独立した脳を持っているから。周囲との温度差によって脳が「物理的な痛み」を感じていながらもそれでもなお自分の知的な整合性を守り抜く強さがあります。
3つ目は物事をハイレベルプロセッシング(高次処理)」しているから。表面的な勝敗ではなくその裏にある構造や人間ドラマという深い回層にのみ反応する特性を持っています。
みんなと一緒に盛り上がれない自分をもう2度と攻めないでください。
興味がないということは心が冷たいということではありません。
別のところにもっと深くエネルギーを注いでいるという明確な証拠なのです。
次にまた日本中が何かのスポーツで熱狂の渦に包まれた時、職場で歓声が上がり、テレビから実況アナウンサーの叫び声が聞こえてきた時、あなたはみんなは今外部のエネルギーで楽しくソーラー発電をしているんだな。でも自分は自分の内側にある発電所でゆっくりと思考を深めようと静かに本を開き、あなた自身の知識の海へと没頭してください。
他人の祭りに参加しない自由。周囲の熱狂に流されず自分の静かな時間を守り抜く知性。それを持っていること自体があなたの人生における何よりの価値であり、強力な武器なのですから。
この動画では、スポーツの話題に興味を持てず周りに馴染めず辛いと感じている人に寄り添い、自分の興味・関心に執着することを「人生の価値」や「強力な武器」だと説明しています。
動画の内容に興味を持った僕は、この説明の根拠が気になりました。
占いやスピリチュアルのでなければ、必ず統計情報や研究結果があるはずです。
幸いなことに動画の参考情報にいくつかの英語論文へのリンクがあったので、てっきりそれがこの説明の裏付けかと思ったのですが、上記まとめにある3つの項目の詳細説明はなく、「NFC(Need for Cognithion)」という手がかりだけでした。
認知欲求(Need for Cognition, NFC)
認知欲求(NFC)は心理学の用語で「努力を要する認知活動に従事したり、それを楽しむ内発的な傾向」と定義されています。
※認知欲求尺度に関す る基礎的研究 より
よく参照されている論文は心理学者ジョン・カシオポ(John Cacioppo)とリチャード・ペティ(Richard Petty)による下記の論文(英語)です。
日本語の情報が少なく主に英語の資料を調べたのですが、Wikipediaの説明が分かりやすかったのでこちらから引用します。
Need for cognition - Wikipedia
認知欲求は、「関連する状況を意味のある統合的な方法で構造化する必要性」や「経験世界を理解し、合理的にする必要性」などと様々に定義されてきた。[ 3 ]認知欲求が高いほど、議論、アイデアの評価、問題解決に対する評価が高まる。認知欲求が高い人は、 高度な精緻化に傾く傾向があるかもしれない。認知欲求が低い人は、その逆の傾向を示し、多くの場合、低精緻化を通して、よりヒューリスティックに情報を処理するかもしれない。
※Wikipedia(英語版)の機械翻訳から抜粋
機械翻訳のせいもあるでしょうし論文的な表現のせいで、とても意味が分かりづらいですが自分なりに意訳すると、認知欲求は物事をロジカルに考える必要性の感度のことで、認知欲求が高い人ほどアイデアや課題を解決しようとしたり整理しようとするし、認知欲求が低い人は物事をあいまいに捉えて直感的に経験則に照らして受け止めようとする、ということかと思います。
いろいろ調べてみたのですが、結局、認知欲求が高い人と協調性との関係はわかりませんでした。
つまり、動画の説明にあった
スポーツに熱狂できない人 = 独自の世界観を持ち深い思索行う人(認知欲求が高い人)
という説明の裏付けはとれませんでした。
この部分は動画作成者の方の推測ではないかと思うのですが、この動画に限らず似たような説明をしている動画は他にもいくつかあり、また、自分の経験からも100%ではないでしょうがそういう傾向がある気がします。
たとえば、あまり他人と関わろうとはせずに趣味に没頭する人は見聞きしたことあるのではないでしょうか。
もちろん、人と関わることが好きで、同時に物事を整理したり考えたりすることも好きだという人もいるでしょう。
高い認知欲求のデメリット
次に自分の経験も踏まえて認知欲求について考えてみます。
・能力は高くないのにやめられない
物事を考えるのが好きな人と聞くと、頭の良い人だと思いがちです。
でも残酷な話ですが、好きなことと能力とは関係ないのです。
いろんなことに興味を持ってもそれを理解できるかは別の話です。
見方を変えると次から次への興味の対象が変わるので落ち着きのない人でもあります。
理想は、高い認知欲求・高い理解力・高い記憶力を持ち合わせていることなのでしょうが、それは認知欲求に限らず誰にでも言えることでしょう。
だから、高い認知欲求を持ちながら他の能力が人並か平均より低い人は、アレコレどうでもいいことにすぐ興味を持つのに、飽きっぽく、落ち着きのない人というふうに見えると思います。
たとえるなら、絵が好きなのに絵が下手な人、歌うことが好きなのに音痴な人、スポーツが好きなのに運動音痴な人になるでしょう。
損得で行動しているわけではなく、自然な欲求で行動しているので、周りから向いてないからやめたほうがいいと言われたり、自分でも下手だと思っても行動を変えられないのです。
・言われたことをやらない
認知能力が高いということは、いろいろな物事を認識するのでその影響を受けやすくなります。
だから仕事で指示された作業をしている最中に何か影響を受け、その新しい何かの方が気になると指示された作業より優先させてしまう場合があります。
これは第三者からは「言われたことをやらずに遊んでいる」というふうに見えることがあります。
・人の話を聞かない
何か説明を聞いている時に話の内容で気になることがあると、そこに気を取られて相手の言っていることがわからなくなってしまうことがあります。
動画なら途中で止めて、気になった箇所やわからない言葉を調べてから、また続きを見るということができるのですが、リアルタイムの説明では「ポーズ」みたいなことはできません。
結局、後から「ちゃんと説明を聞いてなかったのか!」と怒られることになります。
高い認知欲求のメリット
この特性の良いこともあります。
・投資に向いている
「運用成績が良かったのは亡くなっている人」という説があります。
この説がウソかホントかはわかりませんが、一時的な株価の下落で含み損を抱えたまま売却して投資で失敗する人は多そうです。
つまり日々の株価に一喜一憂せずに株を保有し続けるのが、運用成績を良くするコツと言えるのですが、資産が下がり続けて70%とか50%に下がったりしたらヤバいと思うのが普通でしょう。
認知欲求のためかどうかはわかりませんが、自分の場合は「表面的な株価」はあまり気にならず、株価が下がっても「なぜ」、「何が原因で」が気になりました。
また、早期退職する前はフルタイムで働いていて給料で生活費を賄えていたので、最悪、投資資金(すべて個別株投資)がすべてなくなっても生きてはいけると考えていました。
つまり、株価の変動に影響されずに毎日を過ごすことができました。
・見栄をはらずにすむ
となりの億万長者という本にも書かれていましたが、資金を貯めたり維持することの主な天敵のひとつが見栄だそうです。
洋服や車や旅行などに使ったり、男性なら車や時計、女性ならアクセサリーやバッグや整形などでしょうか。
今どきなら推し活も見栄で高額化しているという話を聞きます。
僕は基本的に物欲がなく、必要なものを買い必要ないもの買わないスタンスです。
衣服は寒さを凌ぐためのもの、靴は外を歩くためのもの、移動は電車を使うので高額なものは必要ありません。
・依存や執着がない
ギャンブルやお酒、そして異性に貢いで人生を狂わす話は昔からあります。
パチンコや競馬はやったことがありますが、どれも一回やったら満足しました。
基本的にギャンブルをやって楽しいとか面白いと思ったことはありません。
もし絶対に儲かるギャンブルがあるなら、やってみたいですが、それはもうギャンブルではなくイカサマかビジネスでしょう。
銀行とか証券会社の商売は面白そうですが、自分の能力ではやっていけなさそうです。
・孤独に強い
早期退職した方の動画でたまに聞くのは、孤独に関する話です。
以下の動画の方も会社の人間関係がなくなり想定していなかった孤独に直面した状況を独白されています。
56歳で退職して最初に来たのは、解放感ではありませんでした。 「今日、行く場所がない」という恐怖でした。
僕の場合、50歳で退職しましたが、平日の昼間からブラブラ歩き回って「誰かに怒られたりしないんだっけ?」と意味不明な心配をするくらいで特に孤独感は感じませんでした。
もともと会社の人達と飲みに行くのも人の出入りがある歓送迎会と忘年会ぐらいに付き合うくらいだったので、なくなって寂しいというものではありませんでした。
それより仕事の悩みやストレスがなくなった開放感の方がずっとずっと大きかったです。
時間があっても「やることがない」という問題は、まったく問題になりませんでした。
退職の数年前、僕は地方の駅で列車を待っている時にふと自分にとっての幸せってなんだろうと考えたことがありました。
その時にアレコレ考えた結果、僕は「今しているように」どうでもいいことをアレコレ考えているのが幸せなんだ、ということでした。
いつでもどこでも特に何も道具は必要なく、ただ自分さえいればそれでいい。
後のことはすべてどうでもいい。
その時、自分の幸せの条件に気づきました。
だから退職して時間ができることは渡りに船だと、新しいことをいろいろできると楽しみで仕方がありませんでした。
さらに言うと、住所が首都圏にあるので、博物館や科学館や美術館や郷土資料館などいくらでも行ったみたいところがありました。
正直、退職してからの行動計画や具体的な目標は何も決めていませんでしたが、どうにでもなると考えていたので退職しました。
どうせ時間が経てば定年退職になるので、体も気持ちも元気なうちに早めに退職する方が人生の満足度は高いという判断です。
まとめ
僕は子供の頃から家族の中でも学校でも浮いた感覚がありました。、
いつもどこか居心地の悪さがあって、家にいても自分の居場所ではないという感じがしていました。
今回、「認知欲求」という概念を知ることにより、この概念がこれまで感じていた居心地の悪さの手がかりになりそうな予感がしています。
幸い考える時間はたくさんあるので、これからも引き続き調べていこうと思います。



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